第7章: トカ
1928年· ババ 34歳ページ 977 / 5,444
イラニ大佐の活動について、10月9日にバーバーはこう述べた。「この一切には実体がありません。その中には何もありません。私にとって、これは本当の苦しみではありません。キリストには頭を休める屋根もなく、常に放浪せねばなりませんでした。私にはそのような苦難はありませんが、むしろそれを望み、自ら招き入れています。彼に私のことを書かせ、語らせてやりなさい。それは必ず良い結果を生み出すでしょう。」
したがって実際には、イラニ大佐はマスターとその業の強力な媒介者であった。大佐の冒瀆的な態度のおかげで、メヘル・バーバーの名は急速に世に知られるようになったからである。マスターが弟子たちを集め始めた頃、さまざまなゾロアスター教の共同体はほとんど狂信的に彼に反対していた。しかし次第に敵意が静まるにつれて、彼に最も激しく敵対していた者たちのうちの幾人かは、ついには彼の足元に頭を垂れるようになった。
実際、バーバーは自らの業を推進する勢いとするため、自分への反対をいっそう広めるよう、内的にイラニ大佐を助けていたのである。
バーバーはかつてこう警告したことがあった。「パルシーとイラニが私の死の原因となるでしょう。」
それは、彼が彼らの攻撃によって肉体的に犠牲になるという意味ではなかった。バーバーが暗に指していたのは、自らの大義に対するこの反対であった。そして当初彼に反対していた者たちは、結局のところ、彼が自分たちにより近い存在となっていることに気づくのであった。バーバーは彼らをより近くへ引き寄せるため、彼らの反対を通じて内的に非常に厳しく、また迅速に働かねばならず、その労苦そのものが彼の死に近い状態を意味していた。しかしこの一切はバーバーの望みであった——中傷する者たちを刺激し、彼らの反対をいっそう激しくすることであった。それはバーバーの霊的な遊戯であり、彼に反対した者たちを通じて彼が成し遂げた内なる業を理解することは不可能である。重要なのは、バーバーが自らの「死」となるであろうと言ったその者たちが、後に彼へ近づき、ついには彼が真に何者であるかを悟ったということである。
のちに、10月9日の夕食とアールティーの後、バーバーはプレム・アシュラムの少年たちをマンジルへ呼び寄せた。(バーバーが夕食後に彼らを呼ぶのは久しぶりのことであった。)ルストムが最近プーナから新しい蓄音機のレコード(クラリネットの曲を含む)を何枚か持ってきており、バーバーと少年たちはそれを楽しんだ。『イスラムの神秘家たち』からの抜粋が音読され、バーバーはその一節について語った。1
バーバーは少年たちが自分にひれ伏すことを許し、その後それぞれがバーバーの近くで静かに座っていた。ある少年バサントはずっとバーバーを見つめ続け、もう一人の少年ダットゥはバーバーの膝に頭を載せて座っていた。
脚注
- 1.レイノルド・A・ニコルソン著『イスラムの神秘家たち』(1914)は、「長らくスーフィズムのメッセージへの古典的かつ決定版的入門書として認められてきた。20世紀初頭の最も偉大なイスラム学者の一人による本書は、簡潔ながら包括的な著作であり、一般読者にイスラム神秘主義研究への平易な入口を提供する」。
