第7章: トカ
1928年· ババ 34歳ページ 959 / 5,444
バーバーは七月五日からずっと断食を続けていた。時にミルク抜きの紅茶やシャーベットを口にすることがあった。それでもこの間、断食中であったにもかかわらず、バーバーは常に活力にあふれ機敏だった。それまで、バーバーは六月にトカに到着して以来、アシュラムから一歩も外に出ていなかった。しかし一九二八年八月二十日月曜日、ヒンドゥーの祭ナーグ・パンチミ(コブラ崇拝)の日に、バーバーは午前七時三十分、十八人を伴ってアフマドナガルとシェンディを訪れるべく出発した。同行したのはマンダリ数人、複数の少年、チョーター・バーバー、メレディス・スター、そして西洋人女性二人だった。
一行は九時三十分にアフマドナガルに到着し、アクバル・プレスへ向かい、そこに三時間滞在した。シタールとタンブーラの演奏があり、朝食がふるまわれた。その後、一行はシェンディへ向かった。ナガルから数マイルの村で、バーバーが一年前に訪れた場所であった。バーバーは熱烈に迎えられた。ボルケルが式次第を整え、村のパティル[村長]がすべての手配を見届けた。バーバーは盛大な行列でパティルの家まで案内され、そこで花輪に包まれた。その夜七時、バーバーは一行とともにトカへ戻った。
しばらく前から、ボンベイに住むチャンジの兄ナオロジ・ダダチャンジが重い赤痢に苦しんでいた。さまざまな治療を試みたものの、彼は回復しなかった。バーバーはナオロジをトカへ呼び、チャパティと牛乳だけを摂りはじめるよう頼んだ。この案は気が進まなかったものの、彼はバーバーの助言に従った。しかしナオロジの赤痢はかえって悪化したように見え、二日後の八月二十一日、バーバーから具合を尋ねられたとき、彼は言った。「バーバー、チャパティを食べてから、病が一層ひどくなりました。この病にはチャパティは毒です。」
バーバーは答えた。「分かりました、ではご飯を食べてもよろしい。」
ナオロジは喜び、この食事に切り替えた。しかし米飯はナオロジの赤痢をさらに悪化させるように見え、彼は次にどうすべきか途方に暮れた。チャンジを介して、バーバーはナオロジにボンベイへ戻るよう伝えた。ナオロジは落胆し、バーバーに許しを乞い、バーバーが食べよと言うものなら何でも口にすると懇願した。
