第6章: 愛が泣いている
1928年· ババ 34歳ページ 921 / 5,444
バーバーは再び距離を置き、今度は川の向こう岸に立っていた。マンダリがババジャンのダルシャンを受けるため橋を行き来した後、二人の導師は再び視線を交わし、沈黙のうちに交信した。その後、バーバーはメヘラバードへ戻った。
ババジャン訪問から二週間後の一九二八年四月十五日、日曜日から、バーバーは厳しい断食に入り、いつもの二杯のコーヒーさえ取らなかった。水でさえ二十四時間に一度を超えて飲むことはなかった。
数日後、彼は述べた。「一定数の人々が一定期間断食する用意があるなら、私は断食を破ることを考えます。」
ケー・ジェー・ダストゥールは、その条件を明確にするよう求めた。
バーバーは答えた。「二百人が二十四時間断食するなら、私は食事を取ります。」
それに従い、四月二十四日の朝から、メヘラバードの住人二百人が、水とミルクなしの茶を一度だけ取り、二十四時間断食した。翌朝、バーバーもミルクなしの茶を少し取り、他の人々と同時に断食を破った。最初に食べる代わりに、バーバーは自分と共に断食した全員に先に給仕したいと述べた。九時ごろ食事を給仕した後、五か月と十五日を経て、バーバーはカレーと飯を少し食べた。バーバーは完全であるにもかかわらず、宇宙のために苦行をしなければならないのだ!彼はすべての存在のために苦しみ、そうして宇宙を礼拝する。誰が彼の礼拝を想像できるだろうか。彼の礼拝は、無限の苦しみの大洋の深みから行われる。そのような礼拝ができるのは、アバターだけである。
四月初め、バーバーは少年たちに、行いを改めなければメヘル・アシュラムへ戻し、プレム・アシュラムを閉鎖すると警告していた。四月二十五日、彼は行動を改善するよう再び彼らに警告した。少年たちは泣き始め、バーバーはどんな乱暴な振る舞いも許したが、そのような態度を続けないよう強く促した。
一方イギリスでは、ラストムが数人のイギリス人少年をメヘル・アシュラムへ連れて来ようと全力を尽くしたが、失敗した。ラストムの三週間にわたるロンドン滞在の詳細は知られていないが、彼は地元紙に学校の広告を出し、宿所(アシュチャーチ・パーク・ヴィラ三十八番地、西十二区)で志願者を面接し、募集を助ける代理人も任命した。宗教や社会的地位に関係なく、十歳から十六歳までの少年たちは、二年間滞在することに同意すれば応募できた。
