マハラージの木製のサンダルが敬虔に置かれた特別な祭壇が建てられた。
様々なヒンドゥー教の聖なる日に、火葬場は祝祭的になった。多数のヒンドゥー教徒がサコーリに集まり、ウパスニは彼らの宗教的習慣に従って自分を崇拝することを許した。帰依者たちは昼夜を通して座り続け、ジャパ(japa) — 神の名を繰り返すこと — を行った。時折ウパスニはヴェーダーンタの様々な側面について彼らに説法し、これらの説法はマラーティー語で記録され出版された。
サッドグルでありながらも、ウパスニ・マハラージは一見厳しい苦行を行った。1922年12月25日の夕方、マハラージの帰依者たちが小屋でいつものダルシャンのために彼のところに来た時、彼が竹の棒でできた小さな檻の中に自らを閉じ込めていることを発見して衝撃を受けた。ウパスニは誰もいない時に密かにその檻を作らせて設置し、その日それに入った。檻はとても小さく、ウパスニはその中で窮屈で立つことができなかった。帰依者たちは泣き始め、説明を求めて彼に迫った。
彼らをなだめるためにウパスニは答えた。「あなたたちのために私が自分を閉じ込めなければならないのは神の意志だ。通常の法的取引では、犯罪者は別の者が保証人になった場合にのみ釈放される。同様に、私は神の法廷で私のすべての帰依者の『解放』のために保証人として立つ。この檻はあなたたちのすべての罪を捨て去る場所だ!
「これは普通の檻ではない。それはまさに至福の海であり、それを思いながら死ぬ者は、疑いなくムクティ・アーナンダ(mukti-ananda・永遠の至福、解脱)の状態を得るだろう。」
ウパスニ・マハラージは13ヶ月以上竹の檻の中に自らを閉じ込めた。その期間中、マハラージはほとんど檻から出なかった。彼は食べ(主にバークリーと苦いニームの葉のチャツネ)、排尿し、排便し、入浴もすべて檻の狭い空間の中で行った。帰依者たちは状況の中で可能な限り檻を清潔に保ち、檻の外から彼の必要に応えた。毎日彼にアルティが行われ、その後彼のカニャー(kanyas・尼僧)となった女性たちによる献身的な歌が続いた。この期間中、ウパスニは檻の中から霊的な事柄について多くの説法を行った。
ついに1924年1月31日の夕方、彼は大工を呼び、格子に穴を開けるよう命じた。ウパスニは一時的に檻から出て、信奉者たちの歓喜に迎えられた。
