第1章: 涙を流す時代
ハズラト・ババジャン
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ひときわ大きな声で、彼女は乗客の一人ヌーマ・パンカワラに叫んだ。 「大きなハンカチを首に巻いて袋にしなさい。子どもたちも含め、乗客一人ひとりのところへ行って、それぞれから一パイサ [一銭] ずつ集めなさい。それから皆に、この祈りで神に嘆願させなさい。『おお神よ。この嵐から私たちの船をお救いください。メディナに着いたなら、あなたの愛しい預言者のお名において、貧しい人々に食べ物を施します。』」すぐにヌーマは、船に乗っていた英国人の船員たちをも含めた全員から一パイサずつ集め、皆はババジャンの命じたことを熱心に繰り返した。やがて突風は静まった。彼らは確実な死と思われたものから逃れたのだった。
船がジェッダに到着すると、その奇跡的な救いの噂が広まり、ババジャンから直接祝福を受けようと大勢の人々が集まった。カアバでは、ババジャンは一人の平凡な巡礼者の役を取り、聖所で一日に五度の祈りを捧げた。数日の後、彼女は北のメディナへ向かった。そこで彼女は、至高に慈悲深き御方の預言者ムハンマドの名において、貧しい人々に穀物を分け与えた。
一九〇四年ごろ、ババジャンはボンベイに戻り、その後まもなく、インドにイスラームを打ち立てたスーフィーの完全なる導師ムイーヌッディーン・チシュティーの墓に敬意を表するため、北インドのアジュメールへ向かった。ババジャンはボンベイに戻り、一九〇五年のあるころ、東のプネーへ旅した。そこでは彼女の愛しい息子が成長しつつあった。プネーへの到着とともに、ババジャンの旅の日々は終わりを告げた。彼女は、メルワン・シェリアール・イラニを時代のアバターとして顕すという霊的義務を果たすため、プネーに永住した。
ババジャンが最初にプネーで暮らしたころ、彼女は決まった場所には留まらなかった。彼女は「キャンプ」(駐屯地)区域をさまよい、あるいは街を歩き回り、みすぼらしいスラムにさえ出入りした。衣服はぼろぼろで汚れていたが、その顔に輝く美しさは多くの人を彼女に引き寄せた。グルルフは王女として生まれたが、今や皇帝として、その真の威厳は見まがうことがなかった。
しばらくすると、ババジャンがひとりでいることはなくなった。彼女はいつも群衆に取り囲まれていた。彼女は一度も沐浴しなかったが、いつも芳香を放っていた。彼女の身体的な必要はほとんど皆無で、食べることも眠ることもめったになかった。だが彼女は茶を好み、昼も夜も驚くほど大量に飲んだ。帰依者たちは彼女とその周りの人々のために次々と茶碗を運び、彼女はそれをプラサード [祝福された供物] として配った。
