「私のものは彼のものだ!」私たちの間に分離も区別もない。私は彼に対して全責任を負っている。」
その後まもなく、カシナートは村外れのカンドーバ寺院で一人暮らすために去った。
シルディでは、サイ・ババの弟子たちの間で、聖典の朗読と集団討議が毎日行われていた。カシナートもこれらの集まりに出席した。ある日、サイ・ババは彼がスワーミー・ヴィディヤーラニヤによるヴェーダーンタの有名な聖典『パンチャダシー』を持っているのを見た。サイ・ババは言った。「神の知識に関するすべてが、この本に説明されています。」カシナートは、その本に書かれていることをほとんど理解していないと認めた。サイ・ババは彼に言った。「ゆっくりと着実に、あなたはそれを知るでしょう。」それは、単なる知的理解ではなく、神の体験を得るという意味だった。次第に、カシナートは秘教的な智慧を聞くことへの興味を失い、朗読の集まりに出席しなくなった。内なる体験に没入したカシナートは、今や他者の言葉を超えていた。彼自身が歌い手となっていたが、その歌の栄光はまだ顕現していなかった。
1912年2月、カシナートの三番目の妻が亡くなったとの知らせが届いたが、彼は悲しみを示さなかった。世俗の絆は、もはや彼を縛ることができなかった。この悔悟者はただ自分の歌の音にのみ没入し、その歌を他者に教えるための秘められた知識を得つつあった。
サイ・ババの指示により、ある信者が寺院にいるカシナートへ食べ物を運んだ。しかし数日後、サイはその食べ物が愛をもって用意されたものではないと言い、その信者にやめるよう命じた。カシナートは食べることをやめ、彼に運ばれてくる他のどんな食物も拒み、断食を始めた。この断食は丸一年続くことになった。この期間、カシナートは完全にやせ衰えたが、同時に地元の人々から崇敬されるようになった。敬意から、彼はウパスニ・シャーストリと呼ばれ、後にはウパスナー[礼拝]とウパス[断食]にちなんで、ウパスニ・マハラジと呼ばれるようになった。1 長期の断食により、ウパスニの健康は衰え、脈も弱くなった。しかし彼の顔色はいつも生き生きとして明るかった。サイ・ババの信者たちは彼に食べ物を持ってきたが、彼はそれを食べず、犬やカラスが食べるに任せた。
この一年間の断食の間、この苦行者はカンドーバ寺院を訪れる誰に対しても無礼で、罵りの言葉を浴びせた。2しかし、不機嫌そうに振る舞い、あらゆる供物を拒んだのは、ウパスニの方便にすぎなかった。2彼はついに歌い手の顔を見たのだ!彼自身がその歌になりつつあった!