第5章: 沈黙の始まり
1926年· ババ 32歳ページ 668 / 5,444
粗大の身体と精妙の身体[繊維と殻]が取り除かれると、心[果肉]が残ります。最後に、心が滅ぼされることによって、神[水]が見出されるのです。
ココナッツの繊維を一本一本取り除くことは、マーヤーの個々の性質を一つずつ消し去る、あるいは取り除くことに似ています。しかし繊維をすべて取り除き、身体全体と粗大なサンスカーラを消し去ったあとでも、マーヤーは精妙の身体[殻]と精神の身体[果肉]の形で依然として残ります。
殻を砕いて[精妙の身体を消し去って]もなお、果肉は残ります[心は依然として創造を体験し続けます]。果肉を取り除いてはじめて、ただ水——神-実現——のみが残るのです。
神-実現に至るには、三つの覆い——粗大の身体、精妙の身体、精神の身体——を順次取り除くことが必要であり、それは三種のサンスカーラのすべてを完全に滅することを意味します。この順を追った終焉は、内向の通常の過程において、数世紀どころか、幾世代、幾時代をかけて徐々に起こるのです。
瞬きする間に人を一挙に神-実現させる力を有するのは、サッドグルだけなのです。彼だけが、ココナッツの全体を一撃で叩き割り、マーヤーと心を滅することができるのです。それゆえ、ココナッツを捧げることは、捧げる者が身も魂も絶対的に明け渡すことを意味します。これを捧げるすべての者がこの意義を悟り、胸と魂をもって自らの聖者あるいはサッドグルに身を委ねますように。
続けてバーバーは、導師とのサハヴァス[共に過ごすこと]について以前述べたことを繰り返した:
賢者たちによれば、悟りに至る道は三つあります。もっとも短く、もっとも速く、もっとも易しい第一の道は、サッドグルとの接触によるものであり、それはそのような導師と共にあること、すなわちサハヴァス[共に過ごすこと]を保ち、彼に従い、彼に仕えることを意味します。これは、あなたを目的地までまっすぐ運ぶ特別な急行列車に喩えられます。
サッドグルあるいは霊的指導者がいない場合に取られるべき第二の道は、他の代替案よりも易しく、すべての愛と真心をもって神のいずれかの名を唱え、自らの力の限り利己心なくジャナ・セヴァ[人類への奉仕]を行うことです。これは、ほぼすべての駅に停まる旅客列車の旅に喩えられます。
第三の道は、第二の道と同じくサッドグルあるいは霊的指導者がいない場合に取られるべき道ですが、はるかに長く、はるかに困難であり、シャリアト[宗教の法]のすべての規則と定めを厳しく守ることです。それは、自らの宗教のあらゆる儀式と典礼を、機械的にではなく、真心と誠意をもって執り行うことを意味します。
