第5章: 沈黙の始まり
1926年· ババ 32歳ページ 667 / 5,444
川の水は人々が用いるためにあるのです。人々が水を汲もうと持参する容器は、それぞれの必要に応じて大きくも小さくもあります。同じように、サッドグルたちはただ務めのためにこの世に降り立ち、自らが主である広大かつ尽きることのない無限の至福・知識・体験の蔵から、真の慈愛をもって与えるためだけにいらっしゃるのです。彼らは知識と無限の祝福の蔵なのです。功徳ある者は彼らのもとに参り、自らの器が容れうるだけ受け取ることができます。
当時メヘラバードに滞在していたラムチャンドラ・ガデカルは、最近大学の試験を受けたばかりであった。
5月31日、バーバーは彼に告げた——「あなたは試験に落ちましたよ!」
若者は意気消沈し、目に涙が浮かんだ。
彼を慰めようと、バーバーは菓子を取り寄せて皆に配り、宣言した——「これはガデカルの試験不合格を祝うためのものです!」
しかし数瞬の後、アフマドナガルから、ガデカルが実際には試験に合格していたとの知らせが届いた。ガデカルの落胆は、安堵の微笑へと変わった。
その日の午後、女子校でのお茶の時間に、バーバーは聖者や聖なる人物にココナッツを捧げるというインドの習わしの意味を説明した:
ココナッツは四つの部分に分けることができます——三つの外側の覆いと、内側の水です。それぞれが異なるものを表しています。最も外側の繊維質の毛は、粗大の身体を象徴します。硬い殻は精妙の身体を象徴します。内側の白い果肉は心を象徴します。内側の水は神-実現を象徴します。
ココナッツから水を取り出すには四つの段階があります。第一に繊維を取り除くこと、第二に殻を割ること、第三に果肉を開くこと、そして第四に水を取り出すことです。ココナッツを開けるとき、人々はたいていこうした普通で、ゆっくりとした、順を追った手順をとります。しかし礼拝において水を撒くような儀礼的かつ聖なる場面では、ココナッツの全体を壁や床に一撃で打ちつけて粉々に砕くのです。
四つの段階のそれぞれに霊的な意義があります。ココナッツから繊維を取り除く行いは、身体とその粗大なサンスカーラを捨てる行いに喩えることができます。しかしながら、粗大の身体が取り除かれると、精妙の身体が活動するようになります。精妙の身体は、その後叩き割られる硬いココナッツの殻のようなものです。
