第5章: 沈黙の始まり
1926年· ババ 32歳ページ 645 / 5,444
数日後、メモがメヘラバードへやって来た。メモは動揺していた。ジャムシェドが死んだとき、バーバーがみなに菓子を配ったと聞いて衝撃を受けたからである。そして批判めいた口調で尋ねた——「メロッグ、お兄さんが亡くなったというのに、菓子なんか配らなきゃならなかったの?それがどれほど無礼に見えるか、プーナで人々があなたについて何と言っているか、分かっているの?兄さんが死んだのにラドゥーを配るなんて!」
バーバーはこう答えてメモを落ち着かせた——「お母さん、もしお母さんが、私が見ているようにジャムシェドをご覧になることがおできになれば、ラドゥーだけでなくペーダー[より高価な菓子]までもお配りになっていたはずです!」1
バーバーはまたガニ宛に(3月13日付の書簡で)こう説明された——「ジャムシェドの死については、あなたは私のことを誰よりもよくご存じですから、私がそのような事柄に心を動かされる者ではないとお分かりでしょう。私のそのような兄弟たちは日々何千、何万も死に、また生まれていますが、私の眼には誰一人として死ぬことも生まれることもありません。あの日、私は最も愉快な気分と心持ちでおりました。その愉快さは、装ったものではありませんでした。」
ジャムシェドの死後ほどなく、その妻コルシェドはメヘラバードの女性マンダリと共に暮らし始めた。コルシェドはすでに両親をともに失っており、その母方の叔母は彼女に再婚するよう説得しようとしていた。バーバーが間に入り、コルシェドにアシュラムでの居場所を与えた。
コルシェドとジャムシェドの間には、生まれてすぐに亡くなった男児が一人いただけで、ほかに子はいなかった。バーバーのもう一人の信奉者、ベフラムジの伯父ジャンブー・ママも、似たような運命を辿った。ジャンブー・ママとその妻も、幼い息子を亡くしていた。ジャンブー・ママ自身も、短い病の末に、比較的若い年齢で世を去った。ベイリーはジャンブー・ママの葬儀に参列し、彼が地域社会で愛される人物だったため参列者が多かったと伝えた——「ジャンブー・ママは、富める者も貧しき者も、あらゆるカーストと共同体のすべての人から愛され、敬われていた。あれほど勇敢で、思いやりがあり、熱意に溢れ、明朗な性質を持ち、貧者や困窮者には親のように慈悲深い人物に出会うことは、極めて稀なことだ。」
3月4日、バーバーは次のように述べた——
動物には本能があり、人間には知性があります。しかし私に引き寄せられる者たちは、霊感によって引き寄せられているのです。彼らは私の飴屋[愛]の香りを嗅ぎつけ、そこへ引き寄せられるのです。
世界とのつながりを断たれれば、あなた方はすべての心配から解放されます。しかし、何か深いつながりを保ち続けるなら、心配があなた方を覆い尽くすでしょう。束縛は髪のようなものです——髪を伸ばせば伸ばすほど、それを洗い、油を塗り、梳かなければなりません。同様に、世俗の関わりはいつも不必要な問題や困難に満ち、絶えざる不安の原因となるのです。
1926年3月21日、日曜日、ペルシアの新年ジャムシェド・エ・ナヴローズを祝う祝日が宣言された。バーバーは朝六時、プラサードとしてジャレビーを配った。サイ・ダルバールのキャビンに座すバーバーのもとへ、女性マンダリがまずダルシャンに進み、男たちがそれに続いた。
脚注
- 1.1956年、バーバーは次のように明かされた——「私の兄ジャムシェドは私をとても愛していました。私への愛で気が狂わんばかりでした。あるとき彼は、私への愛で胸が満ち溢れ、自らを抑えきれなくなりました。ここ[頭]の血管が切れ、彼は肉体を脱ぎ捨てたのです。しかし息絶える直前、彼は大きな声で叫びました——『バーバー!』と。彼は私のもとへやって来たのです。今や彼は永遠に私と共にいます。」
