第5章: 沈黙の始まり
1925年· ババ 31歳ページ 619 / 5,444
バーバーのガーディ[座]は、張り出した天板の下のキャビン脇に置かれた。手回しの石臼はテーブルの脇に固定され、バーバーは兄ジャルバーイと共に毎日そこで穀物を挽いた。
バーバーは7月中旬から小屋で著書を書き続けていた。朝に書いていたものの、監督業務が終わった後、時には小屋に引きこもり、扉を閉ざして昼間も執筆を続けることがあった。当時、バーバーは著書に何を書いているのかを明かさず、誰にも内容を読ませることはなかった。
1925年10月11日日曜日、午前中にアンガル・プリーダーが恒例のプラーナ朗誦を終えた後、バーバーとマンダリは午後に村でお茶と菓子をふるまわれ、続いて聖者ブアジ・ブアの命日を記念する例年の晩餐に参加した。アランガオンから戻ったバーバーは、小屋を離れ、テーブル・キャビンの「戸棚」で夜を過ごすようになった。その日以降、バーバーはその狭苦しい空間の中で休まずに執筆を続けた。
テーブル・キャビンへ移ったとき、バーバーは断食を始め、無期限に水と乳の入らない薄い茶だけで過ごすと宣言した。バーバーは皆に新しい住まいへ近づくことを禁じ、もう運動や遊戯に時間を割くことはできないと告げた。
10月16日、マンダリ40〜50人の名簿が作成され、バーバーは彼らに水と薄い茶のみで24時間断食するよう命じた。
翌日、光の祭典ディワリが祝われた。朝、バーバーは学生たちとマンダリに菓子を配り、このプラサード[聖なる供物]によって彼らの断食を解いた。バーバーは、グルマイが持ち寄った花火(線香花火と爆竹)を子供たちに渡した。
師が薄いサドラ[肌着]をまとっている間、女性たちと男性のマンダリは小さな器の温水を一人ひとりが注ぎかけながら、儀式的な沐浴を行った。1バーバーのダルシャンに訪れた者たちも、その足を洗うという稀な栄誉に与かり、香水や芳香石鹸に相当な金額が費やされた。それぞれがバーバーの足を洗うあいだ、楽団が演奏した。儀式の沐浴は水を注ぐ者にとっては喜びであったが、バーバーには苦痛であった。それでもバーバーは愛する者たちを喜ばせるため、その試練に耐えた。沐浴のあと、プージャ[礼拝]とアールティ[灯明礼]の儀式が行われ、プラーナからの抜粋が朗読された。
脚注
- 1.マンダリは1925年9月27日のダセラ[ヒンドゥー教の祭日]にも、バーバーに同様の沐浴を捧げていた。
