付録B: 1942年の談話
1942年· ババ 48歳ページ 5,428 / 5,444
メヘル・バーバーはそれから、攻撃を仕掛ける侵略国家を例に比較を示した:
侵略国家と戦う事例は、実は感染した身体部位の手術の事例と非常によく似ています。侵略国家と戦う場合には、弱い国の利益が一次的な結果として現れ、侵略国家、すなわち力が向けられる相手の利益は二次的な結果として現れます。手術の場合には、患者、すなわち力が向けられる相手の利益が一次的な結果として現れ、他の人々の利益は二次的な結果として現れます。しかしこれは小さな違いにすぎません。二つの状況を注意深く分析し比較してみると、どちらも力が向けられる対象の利益と、その状況に関わる多くの他の人々の利益とを等しく促進していることが分かります。
弱き者を守ることは無私の奉仕の重要な一形態であり、カルマ・ヨーガ [行為のヨーガ] の一部です。そしてこの目的のために必要なときには、力の行使は望ましい目標を達成するために欠かせない手段として、完全に正当化されます。しかし、弱き者を守るために行わざるを得ないそうした戦いが純粋な霊的重要性を持つためには、いかなる利己的動機や憎しみもなく行われなければなりません。それは、卑しい目的で別の男に襲われている女性を一人の男が守り、その女性の名誉と命を救うとともに、襲った男を罰して悔い改めさせ、その男を正すという事例に似ています。
メヘル・バーバーはそれから、狂犬を殺す事例と強き者の非暴力の事例について論評した:
狂犬を仕留める事例(状況四)は確かに暴力の一例ですが、その中に憎しみがなく、また狂犬に襲われるであろう子どもたちのより大きな善を促進しようとするものであるがゆえに、正当化されます。復讐を求める代わりに説き諭す強き者の事例(状況五)は非暴力を意味しますが、それは無為の事例ではありません。それは受動性や弱さを意味するのではなく、強さと、非人格的な性質の真に創造的な行動を意味します。それは強き者の非暴力です。
上記のさまざまな状況の詳細な分析と、それらの相互の比較は、暴力か非暴力かという問題、その正当性の有無の問題、その真の価値の有無を見極める問題が、いかなる普遍的規則の形式的な言明によっても決し得ないという事実を明らかにします。
