付録B: 1942年の談話
1942年· ババ 48歳ページ 5,427 / 5,444
その状況には、力を加えられる相手の同意なしに力を行使することが含まれます。その意味では、これを暴力の一例だと言うことができます。しかしその力は、溺れている人に怪我や害を与えようとする欲望からではなく、その人のためを思って用いられます。その意味では、これを暴力の事例ではないとも言うことができます。これらの特別な意味において、この状況はそれぞれ暴力と非暴力を含むと言えます。しかしこれらの語の通常の意味では、これを暴力の事例とも非暴力の事例とも見ることはできません。
伝染病を治療するための手術の事例(状況二)は、溺れている人の事例とは少し異なります。ここでもまた力の行使があり、それは病んだ身体の部位を切除することにすら及びます。そしてその力の行使は、それが向けられる相手のためを思ってのものです。しかしこの種の手術の大半では、患者はその手術を行うのに必要となるそうした力の行使について事前に同意します。さらにこの手術は、患者自身を病のいっそうの猛威から守るためだけでなく、他の人々を感染の広がりから守るためでもあります。ここでの力の行使は、患者にも、その人と接するかもしれない多くの他の人々にも、混じり気のない善を施そうとする動機から生まれています。害や傷を与える意図がないため、この状況における力の行使は通常の意味での暴力には当たりません。また、生きた身体の一部を実際に切除する明白な事例であるため、それを非暴力と十分に見ることもできません。
侵略的な国家と戦う事例(状況三)もまた興味深く、教えるところが大きいものです。ここで、利己的な動機や個人的な利益からではなく、ただ弱い国を守るという目的だけから、その国の侵略への抵抗を試みる戦いには、侵略国に対して多くの傷害や、さらには破壊さえもたらしかねません。そして力の行使は、それが向けられる侵略国の事前の同意がないばかりか、その国の意図的かつ意識的な意志に明らかに反しています。しかしこの状況にあっても、これを暴力の明白な事例とは言えません。傷害や害がともなうとしても、力の行使は犠牲となる弱い国のためだけでなく、極めて重要な意味において、侵略国自身のためでもあるからです。なぜなら、その侵略において出会う抵抗を通じて、その国は弱い国々を侵略し搾取する傾向という霊的な弱さ、すなわち病から徐々に癒やされていくからです。この暴力は実のところ暴力的ではないので、私たちはそれを「非暴力的暴力」と呼ぶのです。
