付録B: 1942年の談話
1942年· ババ 48歳ページ 5,425 / 5,444
暴力と非暴力
人間は、しばしば標語のような言葉に固執し、それらの言葉が体現している生き生きとした洞察と自らの行動を直接結びつけることなく、ほとんど機械的にそれらの言葉によって行動を決められるがままにするという傾向を持っています。言葉には人生における各々の場と用途があります。しかし、行動が賢明なものであろうとするならば、それらの言葉が伝えようとしている意味を注意深く分析し明確にすることが、ぜひとも必要なのです。このような探究を必要とする言葉の中で、「暴力」と「非暴力」という語ほど重要なものはほとんどありません。これらの言葉は、特定の行為のみならず、人生全体の基調をも形づくる思想と直接的な関わりを持っているのです。
霊的な生は認識の問題であって、規則への機械的な順応の問題ではありません。たとえそれらの規則が最高の価値を表すものとされている場合でも同様です。霊的な生は、あらゆる言葉や定式化を超えた理解を伴うものなのです。あらゆる言葉や定式化には真理を制限する傾向があります。それゆえ、これらの定式化の根底にある精神を引き出そうとする者は、しばしば定式化された諸原則を綿密に分析することに着手し、生から取られた具体例と絶えず接点を保ち続けることによって、この分析を補完しなければならないのです。このことは、暴力と非暴力という相反する概念の助けを借りて定式化された人生の指導原則の場合に、とりわけ当てはまります。
「暴力」と「非暴力」という言葉は、通常の用法において、実生活の極めて多様な状況に当てはまるため、これらの多様な状況に注意を払い、それらを出発点として用いない限り、関わる諸問題についてのいかなる説明も完全たり得ないのです。しかしながら、説明のためには、これらの言葉が網羅し得るあらゆる可能な多様性を数の上で尽くす必要はありません。最も代表的な幾つかの状況を考察すれば十分なのです。ここで挙げる代表的な状況は、暴力と非暴力という概念を中心とする根本的な諸価値に豊かな光を投げかけ得る力を有しているがゆえに、選ばれているのです。
メヘル・バーバーのメッセージは続いて、人間の苦しみと暴力をめぐる五つの繰り返し起こる状況について述べた。
第一の状況——溺れている男を助ける場合。泳ぎ方を知らない男が湖に落ち、溺れかけているとしましょう。そして近くには、泳ぎが達者で、彼を溺死から救いたいと願う別の人物がいるとします。溺れている男は、助けに来た者に必死にしがみつこうとする傾向があり、その抱きつき方はしばしば極めて拙劣であるため、溺れている男を救うことを不可能にするばかりか、助けに来た者まで溺れさせてしまうことすらあり得るのです。それゆえ、溺れている男を救おうとする者は、援助に取りかかる前に、その男の頭を打って気を失わせなければならないのです。そのような状況下で溺れている男の頭を打つ行為は、暴力とも非暴力とも見なすことはできません。
