付録B: 1942年にインドの政治指導者に与えられた談話
1942年· ババ 48歳ページ 5,421 / 5,444
人々は、義務の呼び声が明確で切迫しているとき、いかなる犠牲や苦しみも大きすぎることはないという信念のもと、勇気と平静さをもって戦争の出来事に立ち向かうべきです。直接的かつ侵略的な攻撃を受けた場合、もし他に方策がなければ、戦争に直接参加してでもそれに抵抗することが、すべての人の明確な義務です。しかし、そのような抵抗をする際には、自分が義務感のみによって動かされていること、そして霊的無明のもとに行動する侵略者に対していかなる憎しみや恨みも抱いていないことを、確かなものとしなければなりません。さらに、彼らは空襲や陸海の戦争によって与えられる肉体的・精神的な苦しみに対して、無感覚であってはなりません。それどころか、彼らは各自の能力と適性に応じて、傷つき荒廃した戦争の犠牲者たちに、可能なあらゆる奉仕を尽くすべきです。
通例として、霊的求道者たちは純粋に物質的な安寧には無関心です。彼らは、ほとんどの戦争が純粋に物質的な動機によって引き起こされるという理由から、戦争にも戦争への協力にも無関心になりがちです。しかし、霊性を物質的な考慮から切り離してしまうのは誤りです。物質的な考慮にもまた、霊的な側面と重要性があるのです。内的生活の超感覚的な実在に没頭している霊的求道者であっても、特に自分が戦争に直接関わっている場合には、戦争を無視するわけにはいきません。霊的求道者たちは、無限なる魂の実在と永遠性の上に立っています。それゆえ、霊の要請から生じる義務のために、すべてを賭することは彼らにとって容易であるはずです。
真に理解されるならば、あらゆる争いと戦争は神聖なる遊戯の一部として見えてきます。それゆえ、それらは、二元性の幻想的世界を創造し維持する宇宙的力たるマーヤーの助けを借りて、顕現の世界に自らを表す神聖なる意志の結果なのです。神聖なる遊戯においてマーヤーが果たす役割は二重です。第一に、それは魂を幻想の迷路に陥らせる手段となり得、第二に、それはまた魂を霊的無明と束縛の手から解き放つ手段ともなり得るのです。マーヤーは無視されてはなりません。それは超然たる態度と理解をもって取り扱われなければならないのです。戦争はマーヤーの働きです。それゆえ、戦争はマーヤーの創造物への執着から生じるか、それに対する超然たる態度から生じるかによって、霊的に破滅的にもなれば、そうでないこともあるのです。
