付録B: 1942年にインドの政治指導者に与えられた談話
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現下の戦争の霊的意義
現下の戦争には二種類の力が作用しています——第一には、愛と正義、調和、そして全体としての人類の安寧をもたらす諸力であり、第二には、狭い人種的・国家的忠誠と結びついて、他者を利己的に搾取しようとする諸力です。この戦争は、何百万もの人々に途方もない苦しみと破壊をもたらしています。しかし、これらすべてが無駄に終わることはありません。この混沌の中から、自由と幸福と理解の新たな世界が立ち現れることでしょう。
戦争はせいぜい目的を達するための手段となりうるにすぎず、それ自体が決して目的になりえません。それゆえ、戦争を率いる者たちは、自らの胸の内を探り、自分たちが戦っている目的が神聖なる計画の反映であることを必ず確かめなければなりません。その神聖なる計画とは、階級、肌の色、国籍、人種、宗教、あるいは信条による区別を問わず、すべての人間の一体性についての不可侵の意識によって結ばれた霊的な兄弟愛へと、人類を導くことなのです。戦争への努力は、それがもたらす結果によってではなく、それを奮い立たせる目的によって、正当化されるか、あるいは断罪されるかが決まるのです。世界はこの戦争に立ち向かい、その火の試練を通り抜けなければなりません。たとえ取り返しのつかない損害と贖いえぬ苦しみという代価を払うことになろうとも。それは必要な悪なのです。
戦争はそれ自体としても、純粋な悪というわけではありません。差し迫った危険の重圧のもとで、限られた自我を顧みず、同胞の安全と繁栄のために犠牲と苦しみを進んで受け入れる非人格的な精神に促された多くの行為を、戦争は呼び起こし、解き放つからです。そのような無私の行為は、危険という刺激のもとで解き放たれるほうが、まったく解き放たれないよりも望ましいのです。集団的な災厄の重圧のもとで人々が自らのつまらぬ自我を忘れるほうが、卑しい個人的安全の追求と、分離した存在と利益を永続させようとする無慈悲な企てのうちに永遠に閉じ込められたままでいるよりも、望ましいのです。戦争への努力は、霊的に重要な多くの徳性を生み出し、それらを養い育てます。それゆえ、それ自体として見ても、まったく霊的な意義を欠いているわけではないのです。そして、より高い価値と全体の安寧についての非人格的な配慮のために、戦争への努力が一つの国家や民族に余儀なくされる場合、それは霊的に擁護しうるものとなるばかりでなく、避けがたいものともなるのです。
