第4章: 旅路
1924年· ババ 30歳ページ 539 / 5,444
彼女の寄進の一部は、師からのプラサードという形でマンダリの幾つかの家族に経済的支援を行うためにも用いられた。ペルシア向けの金額はグジャラート語の週刊紙『カイザル・イ・ヒンド』の編集者に手渡され、信託として保管されることになった。
数日のうちにバーバーは、無期限でインド全土を巡る大規模な旅に発つことを決め、その一部の道のりは徒歩で行くと述べた。
バーバーはご自身の意図について風変わりな発言をした。「私は5,000人のサドゥーのダルシャンを得たいのです。サドゥーを見かけるところではどこでも、そのダルシャンを頂きます。」
それからバーバーはダウラットマイとメヘラに指示した。「私が戻るまで、クシュル・クォーターズでルストムとフレイニとともにお過ごしください。その後、恒久的な住まいが整いましたら、お二人をお呼びします。」
そこで二人はアフマドナガルへ移り、ナジャは父マサジと叔母ダウラ・マーシーとともにプーナの家へ戻った。兄ペンドゥは一年以上前のグジャラート行脚の途中以来ずっとクエッタにとどまっており、バーバーは彼をマンダリに合流させるべく呼び戻すことはしなかった。
バーバーはヴァジフダールにボンベイに残るよう命じた。ベヘラムジは最近ペルシアから戻ったところで、バーバーはベヘラムジ、グスタジ、ベイリー、パドリに、寝具、衣類、靴など旅に必要な品々を買うように指示した——いったん旅が始まれば何も買うことは許されないからである。そのため彼らが運ぶべき荷物は重くなった。パドリは、旅の間あらゆる手配を任される、ありがたくもない管理人の役目を仰せつかった。パドリはまた旅の日記もつけていた。1924年8月1日(金曜日)、一行は旅を始め、プーナへ向かった。
プーナで少し休んだのち、ライチュールへ進むことが提案され、8月2日の正午頃に出発した。バラ・タンバット、ガニー、ジャルバーイ、マサジ、ラムジュー、ルストム、サダシヴ、ヴィシュヌがプーナ駅のホームで一行を見送るために集まっていた。客室には食べ物を乞うサドゥー二人がいた。列車がプーナを出るやいなや、バーバーはサドゥーたちに歩み寄った。バーバーはサドゥーたちに食べ物を与え、ダクシナー[供物としての金銭]を渡し、その足元に身を屈めて拝した。
しばらくして、バーバーはパドリに、列車がライチュールへ到着するのは何時かを尋ねるよう頼んだ。翌朝の午前4時に到着すると知らされたバーバーは、それは非常に不便な時間だとして、思いがけずマドラスまで旅を延ばすことを決めた。
