第40章: 再び泣く時代
1968年· ババ 74歳ページ 5,372 / 5,444
1968年11月17日日曜日、バーバーはアフマドナガル・センターの主だった働き手たちを呼び寄せ、アフマドナガル地区、アウランガーバード、ビードの愛者たちにダルシャンを与えることについて彼らと協議された。1翌年夏にグルプラサードへ向かう前に、1969年2月1日から10日の間に七日間、バーバーがメヘラザードで彼らにダルシャンを与えられることが決まった。2
この期間、バーバーは、ご自身とマンダリのためにメヘラザードへ食事を届けたいというアフマドナガルの愛者たちの願いを叶えさせることで、彼らの謙虚な奉仕を受け入れられた。ある日曜日にはパタルディのバデ・プリーダーが食事を届け、次にはダウラト・ロッジ(地元の食堂兼ホテル)のピラマイが届け、プレム・キルナニの妻ギルジャも時折昼食を届けてきた。ある時、バーバーはコキラにダルを届けてほしいと頼まれた。その後、バーバーのご意向に従って、チャガンはバーバーのために食事を整え、毎週日曜日にメヘラザードへ届けるようになった。ラーマは隔週でバーバーとマンダリのためにブージア(揚げ菓子)を、週に一度はチャナ・バジー(ひよこ豆の青葉を煮込んだ料理)を、そのほかバーバーが折に触れて求められる食べ物も届けていた。
一見些細な出来事に見えるかもしれないが、それらが最後の日々であったがゆえに大きな意味を帯びるようになり、その記憶は関係する愛者たちの心と胸に深く刻まれた。
バーバーご自身もこのことに大きな関心を寄せられ、食事が届くと「さあ、次の日曜日には誰が届けてくれますか?」とお尋ねになった。
11月19日、バーバーはウシャ・バスケルにサンバルとライスを届けさせられた。
彼女がそのとおりにしたが、バーバーはほんの二口だけ召し上がって「もう満腹です」と言われた。
バーバーが常々この料理を好まれていただけに驚くべきことであったが、彼の体調は思わしくなく、食欲もなかった。
その日の後刻、ホールでバーバーはエルチに対し、無限なる空虚の境地を描いたハーフィズの一節を翻訳して聞かせながら、フェラムにそれを速記で書き留めるよう指示された。バーバーはハーフィズの詩を次のように訳された。
住処なきが我が住処、
徴(しるし)なきが我が徴、
我が身は存在せず、
我が胸も存在せず、
神すら存在せぬ!
バーバーは付け加えて言った。「悟りに至る前には誰もがこの境地[ニルヴァン]を通り抜けねばならず、それを通り抜けた直後に神を実現せねばなりません。」
脚注
- 1.会議に出席したのは、アディ、サロシュ、チャガン、パドリ、ランゴーレ、ワマン、バギラート、ルストム・カカ、マネク、バデであった。
- 2.1968年12月3日、バーバーは日程を変更し、アフマドナガル地区のダルシャン期間を1969年3月1日から3日までの三日間に短縮された。
