第40章: 再び泣く時代
1968年· ババ 74歳ページ 5,354 / 5,444
バーバーはハミルプルの共同体プロジェクトであるメヘルプリについて、プカールと話し合った。計画を早く完成させるよう彼に促し、バーバーはその落成を1970年11月に定めた。バーバーはまたプカールとケシャブに、自分を讃えるメーラ[祭り]を一定の輪番で開くべきだと助言した — ある年はメヘルプリ(ハミルプル)、別の年はメヘル・ダーム(ナウランガ)、そしてその次の年はメヘラスターナ(マヘワ)で開くというものだった。彼らは行事の予定表を作成し、バーバーに提出できるよう準備しておくよう指示された。
バウによる『道行く人々』のヒンディー語訳『パティック』が完成し、ヒンディー語の歌集『メヘル・ギーティカ』、およびガザル[抒情詩]の集『メヘル・サロード』も完成した。バーバーは三つの原稿をケシャブに渡し、それぞれのタイトルを自ら付けた上で、できるだけ早くハミルプルで印刷するようケシャブに指示した。
バウが書くよう命じられた本はどれであれ、印刷に出される前に、バーバーは最初から最後まで読み上げられるのを聞いた。フランシス、エルチ、マニが書くものに関しても同様だった。これまでにバウはヒンディー語で十数冊近くの本を書いており、この仕事にすっかりうんざりしていた。彼はガザル[抒情詩]を書くのをやめていたが、メヘラザードに戻ると、バーバーは毎日バウに一行ずつ与え続けた。あるとき、バーバーはフランシスとバウの両方に「ダルヴィーシュ[修行僧]」についてのガザルを書くよう求め、その最後の一行をフランシスには英語で、バウにはヒンディー語で与えた。
バウは時にはバーバーから与えられた一行をもとにガザルを作り、彼に読み上げることもあったが、ほとんどの場合バウはその行を集めるだけで、もっと差し迫った仕事があったためガザルを書くのを後回しにした。1バーバーは4月にダルシャンを与えることを決めており、決めるべき事柄がいくつもあった。そこでこれについての会議が予定されていた。
この期間中、ワマンが他の用事で手が空かないときには、アディは時折マネクに手紙や電報を持たせてメヘラザードへ送った。前年、バウはヒンディー語で『アーディ・サチェターナ』と題するアールティ[礼拝歌]を書いていた。1968年10月のある日、マネクが父のルストム・カカと共にやって来たとき、バーバーはマネクにバウのアールティに曲を付けるよう告げた。
脚注
- 1.これらの行から書かれたガザルは後に『メヘル・ロシャニ』(メヘルの光輝)として出版された。
