第40章: 再び泣く時代
1968年· ババ 74歳ページ 5,346 / 5,444
スワミ・サッチダーナンダという有名な54歳のインドのヨーギーがいた。彼はラマナ・マハルシとリシケーシュの聖者シヴァナンダの弟子で、アメリカに移り住み、ニューヨークにヨガセンターを設立していた。この頃、ハリー・ケンモアがエルチに電話をかけ、サッチダーナンダが信奉者の一団を連れてマハーラーシュトラを旅行する予定なので、メヘル・バーバーに会いたがっていると伝えた。しかし9月13日、サッチダーナンダの秘書がボンベイからアディに電話をかけてくると、アディは、バーバーは厳格な隠遁中で今は誰にも会っておられない、と伝えた。その代わりに、バーバーの許可を得て、アディは、彼らの列車が数時間停車する予定のマンマード鉄道分岐点(アフマドナガルから約100マイル)まで自ら車で行き、サッチダーナンダとその一行にバーバーについて話すことを申し出た。その申し出は受け入れられた。
1968年9月16日、ドンは自分の車でアディをマンマードまで送り、そこで彼らはスワミ・サッチダーナンダと約23人の信奉者(一部は西洋人だった)に会った。アディは彼らにバーバーに関する文献を渡し、質問に答えた。一行の一人は、メヘル・バーバーがヨガをよしとしていない、と聞いたことがあった。アディは答えた。「バーバーはヨガを含む、あらゆるものの中にいらっしゃいます。バーバーは何かを退けたりはなさらず、愛を非常に強調なさいます。そして、あらゆるヨガの真の目的は、神への愛を呼び起こし、『あなたが去り(you go)』『バーバーが来る(Baba comes)』のを見ることなのです。」
サッチダーナンダがバーバーはいつ自分たちにお会いくださるかと尋ねると、アディは「今ではありませんが、おそらく後ほど」と答えた。
会合のあと、アディはサッチダーナンダが誠実で真摯に見えた、とバーバーに報告した。バーバーはその報告を聞いて喜ばれたが、サッチダーナンダをダルシャンに呼ぶことはなかった。1
1968年9月30日、バーバーは述べられた。「今日、私は種を蒔きました。私たちは1969年1月10日にその果実を食べることになります。」
バーバーの隠遁期間が終わったため、彼を愛する者たちの忍耐の限界もまた尽き、ダルシャンを求める手紙が世界中の愛する者たちから流れ込んできていた。
彼らの切望を知っていたバーバーは、マンダリに語った。「彼らが私に会いたくて待ちきれないでいるのを、私は知っています。では、私はどうかと言いますと? 私もまた、彼らが私に会うことを待ちきれずにおります。しかし、まだその時は来ていません。ですから、愛する者たちと私、私たちはもう少し待たねばならないのです。」
脚注
- 1.のちに1969年8月、サッチダーナンダはアメリカのウッドストック音楽祭で開会の辞を述べた。
