第4章: 旅路
1924年· ババ 30歳ページ 533 / 5,444
コルシェードはこれを聞いて泣いたが、バーバーは決意を変えなかった。彼女はそのうえでサコリへ移りたいと申し出、バーバーが反対したにもかかわらず頑として譲らなかった。バーバーが彼女をクエッタへ連れて行かなかったのは、おそらく常に自らの意向に従うことの大切さをコルシェードに学ばせるためだったのだろう。
1924年6月6日、バーバーはアディ、アルデシル、ラムジューを伴い、グジャラート・メール列車でボンベイを発ちクエッタへと向かった。ハイデラバードから、ルシ宛に次の電報が打たれた。「メヘルバーバーと三名、九日クエッタ着。シビ通過に妨げが及ばぬよう手配せよ。フィロズシャー以外には誰にも知らせるな。儀礼的な歓迎は避けよ。本件は厳重に秘匿すべし!」
バーバーの訪問を伏せた理由は、もし到着が公にされれば、多くの人々がこの導師のダルシャンを求めて押し寄せたであろうことにあった。それでは彼の隠遁の計画が妨げられてしまうからである。一行は6月9日の朝にシビへ到着し、ルシがあらかじめ警察当局に通告しておいたおかげで、国境通過に支障はなかった。(北西国境のその区間を越える者は、適切な身分証明と保証人がなければ、たいていイギリス当局から厳重な取り調べを受けるのが常だった。)午後五時にクエッタへ到着するとルシの家へ向かい、その一家の手厚いもてなしによって旅の疲れも癒やされた。
残念ながら、前回クエッタを訪れた際に長期滞在用として選んでおいた魅力的な家は、もはや借りられなくなっていた。バーバーはその家の美しい庭を気に入っていたので、落胆した。もう一つの問題はクエッタの冬だった。氷点下の気温と豪雪はバーバーのマンダリにとって快適とはいえなかった。より温暖な気候に慣れた者たちは、たやすく肺炎にかかりかねなかった。この件を話し合ったうえで、バーバーはスックルへ移ることに決めた。ムンシジがスックル堰堤工事へ転勤になる可能性もあった。1バーバーはアルデシルとラムジューに、まずスックルへ向かい、滞在に適した場所を選ぶために必要な調査をすべて行うようにと命じた。フィロズシャーは友人のモベドに渡すための紹介状を二人に手渡し、二人は出発した。
6月11日にスックルへ到着した二人は、いくつもの果樹園を見て回り、毎日バーバーへ報告書を郵送した。アルデシルはインダス川沿岸の一つの果樹園を気に入ったが、ラムジューはバーバーに手紙を書き、夏の気候があまりに暑いためスックルに住むのは勧められないと伝えた。バーバーから返事がなかったため、二人は6月14日にクエッタへ戻ったが、バーバーは同じ日にフィロズシャーとともにスックルへ発ったと知らされた。
脚注
- 1.スックルはメヘラの生地であった。
