第40章: 再び泣く時代
1968年· ババ 74歳ページ 5,313 / 5,444
一九六八年二月二十一日から三月二十一日まで毎日:
― 午前 四時間
― 午後 一時間
― 自室にて 十五分[この予定は取り消された可能性あり]
ただし、一九六八年二月二十五日を除く:
― 午前 一時間のみ
新しい予定は一九六八年二月九日から実施された。バーバーは自らの普遍的な働きのために、自らの普遍的な身体を完全に犠牲にし、その働きに完全に没入合一した。毎日、働きを終えるたびに、彼の顔には極度の疲労の色が現れていた。しばらくの間、働きが終わった後でもなお、バーバーはその働きに没入したままのように見受けられた。(ブレーキをかけても列車がすぐには停止せず、徐々に速度を落としていくのと似ていた。)
毎日の午前の隠遁中の働きが終わると、マンダリがホールへと呼び入れられ、そこでエルチが祈りを唱えた。次にマンダリは一人ずつバーバーの椅子の前に進み出て、バーバーの前に置かれた「プーフ」(綿を詰めた球状のクッション)の上に自分の足を置いた。彼らがそれぞれの宗教に従って神の名を七回繰り返す間、バーバーは彼らに向かってお辞儀をした。
アメリカでは、二十四歳のベンジャミン・V・ライトが一九六六年十月にニューヨーク市で初めてバーバーの話を聞いた。仲間の薬物使用者であったシンディ・ウィテカーが、薬物をやめると決意したことと、その決断にメヘル・バーバーがどのような役割を果たしたかを彼に語ったのである。
一年後、ライトがレバノンの山中で暮らしていたとき、クリスマス・イブに彼は、バーバーが自分にこう語りかける内的体験をした。「すべてを捨て、来て私に会いなさい。」
ベンの友人で、もう一人の若いアメリカ人である十八歳のスタンレー・「スキップ」・M・フィッシャーも彼と一緒に滞在しており、同様の体験をした。
二人は一緒に旅をすることで合意し、レバノンを発って一月の第二週に陸路でインドへと向かった。二人は一九六八年二月十一日にボンベイに到着したが、ベンが一人でバーバーのもとに行きたいと希望を伝えていたため、インドに着いてからは互いに別れて行くことに同意した。ベンは三週間プーナへ行き、スキップはヒッチハイクでアフマドナガルへと向かった。
スキップ・フィッシャーは十五日にアディのオフィスに到着し、バーバーに会いたいと申し出た。スキップからの伝言はメヘラザードへと送られたが、バーバーは厳格な隠遁の最中であったため、その若者が自分と会うことを許さなかった。その代わり、彼はエルチを通じて次の七つの指示を彼に送った。
(1)バーバーは厳格な隠遁中であるため、スキップにお会いになりません。
(2)バーバーは、彼がこのことで悲しまず、むしろバーバーをいっそう多く、できるかぎり頻繁に思い起こし、ますます深く愛することを望んでおられます。
(3)バーバーは、彼が自分のいた場所へ戻り、普通の生活を送り、生計を立て、できるかぎりバーバーのことを思い、バーバーに関する本およびバーバーが著した本のみを、できるかぎり多く読むことを望んでおられます。また彼は、友人たちや他の人々に、バーバーのこと、そして彼の愛と真理のメッセージについて伝えるべきです。
