第39章: ドラッグ禁止
1967年· ババ 73歳ページ 5,269 / 5,444
この期間、バーバーの寝室は新鮮な空気の入る隙間もなく息詰まるようで、当番についていたペンドゥとバウの体からは汗が滴り落ちていた。バーバーの苦しみは彼の宇宙的な働きと結びついており、彼の身に起こるすべてのことはそれと関連していた。
バーバーはギンデ博士に対して、アメリカで学生層に向けて麻薬反対のメッセージを広めるべく進められている働きについて語った。今や社会心理学者となったアラン・コーエンは、アメリカにおける、とりわけ学生世界における麻薬問題について、相当の専門家となっていた。コーエンは各地の大学を巡回し、LSDやマリファナその他の麻薬の有害な副作用について講演を行っていた。
1967年4月12日、バーバーはマートル・ビーチのセンターを訪れていたアラン・コーエンに次のような電報を送った。
アディに宛てた4月4日付のあなたの手紙と、バーバーの働きの報告書である同封の文書を、私のもとで読み上げてもらいました。あなたとバーバーの若い男女たちが、記事や演説、討論会、ラジオ出演、映像メディアを通じて私のメッセージを人々に力強く伝えてくれていることを、私は大いに喜んでいます。私はあなた方とともにいます。
[リチャード・]アルパートおよび関係する他の方々に、私が1967年末以前には間違いなく面会できないことをお伝えください。あなたと、ともに働く方々に、私の愛と祝福を。
リック・チャップマンは依然としてインドで教えていた。仕事が終わると、彼は4月13日にアフマドナガルへ行き、アディおよびパドリと数日を過ごした。彼は18日にアディとカルチュリ家の人々とともにプーナへ来て、プーナ・センターの間に合わせの宿に泊まった。そこには、センターの管理人として小さな部屋に住んでいたラマクリシュナンも滞在していた。しかし、バーバーは時折ある仕事のためにラマクリシュナンを呼び寄せることはあったものの、この間リックを呼ぶことはなかった。誰も自分の隠遁を妨げてはならないというバーバーの命令に背きたくなかったため、リックもまた、5月6日にボンベイからアメリカへ戻る前に、バーバーのダルシャンを求めなかった。
エルチが何気なく、バーバーがリックを呼ぶかもしれないと口にすると、バーバーは「いいえ、彼にはあの一度の訪問で十分だったのです」とおっしゃった。
リックは1967年5月11日、アラン・コーエンに次のように書き送った。「私がプーナを離れる前、バーバーは私に深い感情のこもったメッセージを送ってくださった。『あなたとアラン、そしてボブ[ドレイファス]こそが、私の真理のメッセージをアメリカ人たちに広めることのできる者たちなのです。』」
5月26日、次の電報がアランに送られた。
アディに宛てたあなたの電報と手紙を受け取りました。[リチャード・]アルパートと連絡をとることに、これ以上時間を費やさないでください。リックがほどなく、私のメッセージを広める働きにあなたと合流するでしょう。私の時は急速に近づいていますから、この働きを推し進めてください。
あなたに私の愛を。
