第39章: ドラッグ禁止
1966年· ババ 72歳ページ 5,230 / 5,444
バーバーはジムをご自分のもとに呼び寄せ、抱きしめて口づけし、そして送り出された。ジムはその朝の残りの時間をジャルバイと共にプーナ周辺のさまざまなバーバーゆかりの場所を巡って過ごし、その後バンガロールとデリーに向かい、五月一日にアメリカへ帰国した。彼はこう締めくくる。
あの面会で最も強く残っている記憶は、バーバーの現存についての記憶である。どういうわけか、あの方は言葉にせずとも、ご自分が私を心の底から愛していらっしゃること、私があの方を信頼してよいこと、そしてあの方が絶え間なく永遠に味わっていらっしゃる至福を体験するためならば、いかなることも ― 文字どおりいかなることも ― 耐え抜き、苦しみ抜き、乗り越える価値があるということを、私に伝えてくださった。どういうわけか、バーバーは私にあることを確かに知らせてくださった ― あの方ご自身であるその道の果てには、驚くほどに美しいものが在るということを。バーバーは、それを知っている私の内なる何かを目覚めさせてくださった。
マストたちがあの方のためにご自分の命をすら投げ捨てる、その心情が私には分かる。親しい弟子たちが、あの方のもとに戻り、共にあって愛し、仕えること以外には何ものも望まないという、その心が私には分かる。あの方の愛の葡萄酒をひと口味わったがゆえに、私はその樽すべてを欲してやまなくなった。あの方をありのままにお目にかかれるその日を、私はどれほど待ち焦がれていることか。
バーバーに宛てて書いた手紙の中で、ジムは言った。「私はいつの日か、無に等しくなれるほど大きくなれることを願っております」
アディを通して、バーバーはこう応えられた。「いつの日か、そうなりましょう」
ラム・ギンデ博士は、一九六六年四月下旬にグルプラサードでバーバーに短時間お会いすることを許され、その面会の直後にボンベイへ戻った。アディは四月二十三日、いつもの仕事のために呼ばれた。アディは五月五日、ハイデラバードへ向かう途中で立ち寄り、そこではメヘル・ヴィハールでの行事で講演する予定だった。メヘル・ヴィハールに据え付けられる予定の銀めっきのパドゥカ(昔ながらのチャッパル)一足がグルプラサードに送られており、バーバーは五日にそれにご自分の足で触れられた。ドンもこの時期、グルプラサードでバーバーに会うために呼ばれた。アディは五月九日にグルプラサードへ戻り、行事の経過をバーバーに報告した。
一方、シーラ・カルチュリの耳は化膿して膿でいっぱいになり、彼女は激しい痛みに苦しんでいた。乳様突起の手術が必要であり、その手術はプーナで行われる予定だったので、バーバーは彼女、ラマ、そしてメヘルナートを呼び寄せ、グルプラサードに滞在することを許された。普段は、彼らがバーバーのダルシャンのために来るたびに、ラマの兄弟ディラジが付近のホテルに泊まれるように手配していた。しかしその年、そしてそれに続く年々にも、彼らはバーバーと共に滞在する機会を得たのである。
