第39章: ドラッグ禁止
1965年· ババ 71歳ページ 5,202 / 5,444
1965年11月29日、バーバーは再びアディにメモを送り、プーナへ発つまでの今後4か月間は妨げられずにいたいので、西洋人を含む訪問者を一切メヘラザードに寄越さぬようにと伝えた。
「4か月間妨げられずにいることを許していただければ」とバーバーは口述した。「私は気分が良くなり、健康にも幾分かの改善があるでしょう。そうでなければ、もっと悪くなるでしょう。」
1965年12月1日からバーバーは、東洋・西洋いずれから届く書簡もすべて、聞くことをやめた。首の痛みは引き続きバーバーを苦しめた。それ以前の数か月、バーバーが日中に休みなく長時間座り続けていた頃、マンダリはギンデ博士の助言どおり、首の状態を和らげるためにベッドに横になって体を休めてほしいとバーバーに懇願していた。今や彼らは、バーバーがそれほど長く横になっていなければならない姿を見るのが悲しかった。一度に短時間以上座り続けると痛みが悪化したからである。1バーバーが毎朝約二時間マンダリと共に過ごすときも、股関節の痛みは激しかったが、それでも隠遁中のバーバーの内的な仕事は続けられた。
アル・カンバッタ博士は主にバイドゥルの世話を助けるためにメヘラザードに滞在していたが、1965年12月2日にボンベイへ出発した。パドリは12月8日に仕事のためメヘラザードを訪れ、アディは(一か月の間隔をおいて)9日に呼ばれた。ラーマは前日にブース病院から退院しており、バーバーは彼女の健康とサロシュの健康について尋ねた。アディはまた、ペンドゥや他の者たちと土地の境界争いについても話し合った。(近隣の農夫の一人が、メヘラザードの井戸が自分の土地にあると主張していたのである。)
サワク・コトワルの息子アディと娘ヒラは、かつて家族と共にメヘラバードで暮らしたことがあった。アディとヒラは、ヒラの九歳の息子ディーパクとともに、1965年12月13日月曜の午前9時にメヘラザードへ来ることを許された。結婚後、ヒラはロンドンに移り住んでおり、インドを再び訪れたのは実に9年ぶりのことだった。彼女は涙が止まらなかった。
あるときバーバーは彼女をからかった。「私はこんなにも久しぶりにあなたとお会いしているのに、あなたはただ泣いてばかりいますね!私に会いに来たのですか、それとも泣きに来たのですか?」
彼らはメヘラザードで一日を過ごしたのち、ボンベイへ向けて発った。マンサリは16日にメヘラザードの皆を訪ねた。
脚注
- 1.医師たちは、バーバーの慢性的な首の症状の原因は、長年にわたり聖廟、マスト、サドゥ、貧しい人々、ハンセン病患者たちに何千回も身を屈めて礼拝するという過酷な仕事にあると結論づけた。
