第38章: グルプラサド庭園、1963年
1964年· ババ 70歳ページ 5,079 / 5,444
すべてがトラックに積み込まれると、バーバーは去ろうと立ち上がった。マンダリは密集した群衆の中を彼を導いて行くのに難儀したが、なんとかやり遂げた。バーバーがメヘルジーの車に乗り込むと、感情がほとばしったプーナの一人の男がバーバーのダルシャンを受けようと駆け寄ったが、アロバが行く手を阻んで制止した。
信者たちは車道の両側に列を作り、門の手前から門の先までずらりと並んで立っていた。午前8時、バーバーの車がゆっくりと彼らの前を通り過ぎる際、彼らは一人ずつ順に前へ押し寄せ、素早く彼の手に触れたり口づけたりした。長い夏の別離ののち、邸内で彼と共に過ごせた時間はあまりに短く、彼が通り過ぎていく時、彼らの胸は叫び声をあげた。「バーバー…メヘル・バーバー…私のバーバー…私の父よ」
窓際に座って彼らに微笑みかけていたバーバーは、口づけしたり触れたりしやすいようにと、手をさらに外へ差し出した。彼らの顔は愛で輝いており、車が角を曲がって視界から消え去ったのちもしばらくの間、彼らはその場にとどまり、車の去って行った方向をじっと見つめ続けていた。
プーナ郡の境を離れて以降は雨の痕跡もまったく見えず、道沿いには乾いた野原が彼らの前に広がっていた。アフマドナガルに到着すると、バーバーはアディに、アクバル・プレスの正門とサロシュ・モーター・ワークスの近くで車を止めるよう指示し、そこでバーバーは(車中に座ったまま)軍人を含む300人近い愛する者たちと短時間ながら対面した。その前日、ジャバルプル出身の26歳の大学生ゴカラン・シュリヴァスタヴァが、バーバーのダルシャンを受けるためにやって来ていた。ゴカランは1961年、ジャバルプルにいた一人の教授からバーバーのことを初めて知った。彼はスレンドラ・バトナガル教授の自宅に飾られていたバーバーの写真に強く心惹かれ、何日も経ってからゴカランはそれが誰なのかを尋ねた。その後、彼はバーバーに手紙を書き、1962年の東西集会に出席し、1963年にはグルプラサドへやって来た。
ゴカランは、毎日メヘラザードを訪れることを許されている地元の郵便配達人がどれほど幸運な人物だろうかと考えていた。彼がアフマドナガルに到着すると、フェラムはメヘラザードへ行ってみてはどうかと勧めた。バーバーがそこへ到着してしまえば、ゴカランは訪問を許されなくなるからである。フェラムはそれまでに溜まっていた大きな郵便物の束を彼に手渡した。こうしてゴカランは幸運な郵便配達人となったのである!ゴカランがその手紙をカカに渡すと、カカは彼に敷地を案内して回った。(数年前、ゴカランが国家士官候補生団に在籍していた頃、訓練のためピンパルガオン地区に来ていたことがあり、塩を借りにメヘラザードへ立ち寄ると、一人の使用人が彼に塩を渡してくれた。その当時の彼は、メヘラザードがアバターの住まいであるとは少しも知らなかった)
