第38章: グルプラサド庭園、1963年
1964年· ババ 70歳ページ 5,073 / 5,444
バーバーが車から降りるや否や、センターの会長サダーシヴ・パティルが彼に花輪をかけた。バーバーは微笑みながら彼を抱擁し、それからホールの扉へと歩み寄った。そこでメヘルジーがハサミと鍵を載せた盆を捧げ持って差し出した。バーバーはハサミを手に取り、出入口に渡された七色のリボンを切ってから、鍵で扉を開けた。
バーバーはセンターの七人の理事と写真家ビクバーイを従えて本堂に入っていった。戸口からバーバーの椅子が置かれた壇上まで続くカーペット敷きの通路には、花びらが撒かれていた。それはこの行事のために特別に作られた、クッション付きの肘掛け椅子であった。ホールに入るとバーバーは周囲を見回し、壁を飾る自分の額入り写真を称賛した。それらは彼の人生と活動のさまざまな側面を映し出していた。それらの写真はビクバーイがセンターに寄贈したものであり、バーバーは彼にその場で自分の写真を撮るよう求めた。ベヘラムとジェハングは式の様子をフィルムに収めた。
バーバーが席に着くやいなや、アディが本堂の天井から七色のバーバー旗を広げた。それから外で待っていた愛慕者たちがホール内に列を成して入り、それぞれの席に着いた。ホールが満員になると、七人の子どもたちが小さな隣室から現れ、アバターを歓迎する歌を歌った。子どもたちはそれぞれ、バーバーの旗を成す七色のうちの一色でできた花輪を手にしていた。子どもたちは一人ずつバーバーの首に花輪をかけ、その後、彼の前で歌ったり踊ったりしてプネーのすべての愛慕者たちが抱く喜びを表現した。彼らは、バーバーが共にいてくださることを自分たちにとっての大いなる幸運であると述べた。バーバーの顔にあふれる輝くような微笑みからも、その歓迎を彼が喜んでいるのは明らかであった。バーバーは子どもたちを褒め、その数日間にわたって彼らを指導したマドゥスーダンの努力を称えた。続いてプネーのグループはバジャンを歌い、さらにマドゥスーダンがナウランガのメヘル・ダーム、コーヴルのメヘルスタン、デヘラドゥンのメヘル・ダームの開所式のために作曲した歌の数々を披露した。さらに、マドゥスーダンがこの行事のために特別に書き下ろしたもう一曲も披露された。
マドゥスーダンの歌が終わると、五歳のメヘラ・ケラワラがマイクの前に進み出て英語で「マスターの祈り」と「悔い改めの祈り」を唱え、続いてバウサルの娘スダーとアーシャーが同じ祈りをマラーティー語で捧げた。新しいプネー・センターの愛慕者たちを代表して、ソマンはセンターの開所式に自ら臨席してくださった慈悲に対し、改めてバーバーに感謝の意を表した。彼はまた、何らかの形でセンターの設立に手を貸し、その目的に向けて尽力したすべての人々に感謝の意を伝えた。
