第38章: グルプラサド庭園、1963年
1964年· ババ 70歳ページ 5,071 / 5,444
外部からの訪問者に対する全般的な禁止にもかかわらず、1964年4月7日、バーバーはミルザとその妻がアディとともにグルプラサドで自分に会うことを許した。ミルザはバーバーと二人きりで五分間会い、バーバーは彼に対し、毎日「マスターの祈り」と「悔い改めの祈り」を唱え続け、神聖な意志に身を委ねたままでいるよう指示した。それからバーバーはミルザの妻にも少しの間会った。
8日、バーバーは心電図検査を受け、若干の冠状動脈硬化が認められた。10日にはルビー・ホール・クリニックで再び医学検査を受けた。検査結果を見て、グラント医師はバーバーの糖尿病はよく管理されていると述べた。
マハラニ・シャンタデヴィは四日間プネーに滞在し、4月20日から毎日バーバーに会うことを許された。その日アディも訪れ、バーバーはラーマ、メヘルナート、シーラの健康について尋ね、彼らにもっと心を配るようアディに勧めた。アディは24日、サロシュとヴィルーを伴ってプネーに戻り、二人はバーバーにデリーとデヘラドゥン旅行について詳しく報告した。
一方、ニューヨーク世界博覧会は1964年4月22日に開幕する予定であり、アメリカの愛慕者たちは資金を出し合い、バーバーの「普遍的メッセージ」を広めるための美しい案内ブースを建設していた。14月12日、バーバーはエリザベス・パターソンとジェーン・ヘインズに、博覧会の準備を手伝ったすべての人々に向けた次の電報を送った。
メヘル・バーバーの普遍的メッセージでニューヨーク世界博覧会を飾ってくれた、アメリカの私の愛慕者たちの愛は祝福されています。私は、それを可能にしてくださり、博覧会の期間中その場を守ってくださる私のすべての愛慕者と働き手の方々に、愛の祝福をお送りします。
展示館の開幕は1964年5月8日まで延期されたが、バーバーの電報のおかげで、最後の苦しい数週間は試練ではなく喜びの時となった。博覧会には一日に五十万人もの来場者があったと推定され、エリザベス、キティ、ジェーン、その他多くの人々のたゆまぬ尽力のおかげで、その多くがバーバーのコーナーを通り、彼の写真を目にし、その名を耳にした。
バーバーは最初から「私は博覧会で、私自身のやり方で私の仕事をします」と示しており、彼に引き寄せられて後により多くの情報を求めてマートルビーチ・センターに手紙を書いた人々を見れば、そのことは明らかであった。
フレッドとエラ・ウィンターフェルトは、人々から尋ねられるかもしれない質問にどう答えるべきかを問い合わせた。
バーバーはマニを通じて手紙でこう答えた。「バーバーの愛があなた方とともにあります。ですから、尋ねられるかもしれない質問について少しも緊張なさらないでください。バーバーに対するあなた方の愛が自ずと語り、すべての質問に答えてくれるでしょう。」
脚注
- 1.そのブースは、アメリカン・インテリアズ館の三階に設けられていた。
