第38章: グルプラサド庭園、1963年
1963年· ババ 69歳ページ 5,047 / 5,444
翌日、チャガンが用意して送った食事でナリマンの誕生日が祝われた。ナリマンとその兄弟たち、ジム・ミストリ、メヘルワン・ジェサワラ、バーバーの甥であるルストム、ソーラブ、ジェハング・スカドワッラがこの数日間メヘラザードに滞在していたが、その日の夕方に去った。
メヘルナート・カルチュリの十歳の誕生日(22日)が、1963年10月21日に祝われた。ラーマー、シーラ、メヘルナートは21日、バーバーとともに過ごし昼食を共にするためにメヘラザードに呼ばれた。
バル・ナトゥは学校教師で、ディーワーリーの休暇中であったので、22日から五日間メヘラザードに滞在することを許された。アーンドラから旅をしてきたコドゥリ・クリシュナ・ラオは、25日に息子のプラサードとともに到着した。バーバーは彼と短い時間会い、コブールにメヘルスタンを設立しようとするクリシュナ・ラオの努力に喜びを表した。
プーナ出身のバンダリ将軍とその妻カムラもその日の訪問客であった。将軍はデリーへ行かねばならず、出発前にバーバーに会う許可を得ていた。立ち上がり外へ出ねばならず身体的には苦痛であったが、バーバーは寛大にも写真のためにポーズを取ってくれた。彼らが去る前に、バーバーは自署した二冊の本をその夫婦に贈った。
サロシュとヴィルもその日の午後2時に、バーバーとマンダリのための食事を持ってやって来た。毎年恒例のメーラー、すなわち「メヘル・バーバー祭」が11月の最終週にナウランガのメヘル・ダムで開かれ、バーバーは彼らに、ダーケーとスシーラとともに、その年のハミルプルの祭での自身の主席代表となるよう頼んだ。彼らはそのプログラムに参加することに同意した。
カイコバードの息子ラタンは10月28日、バーバーと自分の父親に短時間会うことを許された。ルストム・カカーとマネクは11月2日、マネクの将来の進路計画について面会を行った。
この期間、バーバーの負傷した腰の身体的な痛みは彼を苦しめ続けた。歩くことが最小限に制限されただけでなく、今では椅子に座っているときでさえ不快さを感じるようになった。前述のとおり、バーバーは昇降椅子でホールへ運ばれ、毎朝8時から正午まで、そして午後にも再び2時間そこに留まった。彼がホールに入ると、エルチが「主の祈り」と「悔い改めの祈り」を唱える間、バーバーを含む全ての男たちは立ち上がるのであった。祈りは午後の時間の前にも唱えられた。痛みと、自ら積極的に続けていた疲れる隠遁作業にもかかわらず、バーバーはしばしば様々な人々を呼び寄せ、彼らと様々な事柄について何時間も話し合った。
