第38章: グルプラサド庭園、1963年
1963年· ババ 69歳ページ 5,045 / 5,444
10月9日、フェラムはメヘラザードで一か月以上を過ごしたのちクシュル・クォーターズへ戻った。
エルチの誕生日にあたる1963年10月13日日曜日、アディ、メヘルジー、ラマクリシュナン、カンブレ、サダシヴ、マンチェルショー・スカドワラ、シンデ、バヴサル、ターデ、ジャルバーイが新しいプーナ・センターの建設の進捗を話し合うためにメヘラザードへ呼ばれた。彼らはその事業に必要な資金を集められずにいたため、バーバーはジャルバーイに、工事のための寄付をアーンドラで募ることを許可しており、ジャルは33,400ルピーを集めて会計担当のカンブレに渡していた。三時間にわたる会合ののち、プーナのワーカーたちは家路についた。
ドン・スティーブンスはスタンダード・オイル社の業務で各地を広範囲に出張していた。彼は東京での交渉に忙殺されていたが、予定に入っていない週末が間近に迫っていた。彼は交渉の場を早めに離れて飛行機でボンベイに向かい、日曜日に到着するや、タクシーでまっすぐアフマドナガルへ行ってバーバーと一日を過ごし、夕方には同じタクシーでボンベイへ戻り、東京行きの帰路便に乗って翌日また交渉に合流したいと考えていた。スティーブンスはこの可能性を長文の電報でバーバーに説明し、バーバーは受け入れる旨の返事を送った。
10月13日にドン・スティーブンスが到着すると、バーバーは彼を集まりに紹介し、メヘラザードで数時間を過ごすためにスティーブンスがボンベイからはるばるタクシーでやって来たことを一同に伝えた。バーバーはいくらかかったのかを知りたがり、ドンは400ルピーですと答えた。訪問者たちはそれにふさわしく感心した面持ちだった。
バーバーは言った。「ドンは私が頼むことなら何でもしてくれます。事実、私が頼めば崖から飛び降りることさえするでしょう。そうではありませんか、ドン?」
自分が何に巻き込まれようとしているのかと訝りつつ(バーバーがほかにも何かを頼もうとしているのだろうと考えながら)、ドン・スティーブンスは数秒ためらってから息をのみ、「はい、そういたします」と答えた。
バーバーは満足げに微笑んでうなずいた。その後ドンは出発し、メヘルジーや他の数人が彼と一緒に車に乗ってプーナまで同行した。
ダディ・ケラワラもその会合に出席しており、その最中にバーバーは何気ない様子で彼にこう言った。「外国へ行ってみてはいかがですか?」
その後ダディはバーバーの言葉について思いめぐらすようになり、さらなる学業のためにアメリカのいくつかの大学に出願し始めた。ダディの専攻は農学で、彼はミシガン州立大学からアシスタントの職を提示された。彼はバーバーの承認を得て、翌年の5月に出立した。ミシガン州立大学で四年間学び、彼は農学博士の学位を取得した。
1967年に彼へ宛てた手紙の中で、バーバーは次のメッセージを送った。「揺らぐことのない愛によって私を愛してくださる方々は、その愛に対して常に余すところなく報いを受け取るでしょう。」
