第4章: 旅路
1924年· ババ 30歳ページ 501 / 5,444
一方、ベイリーはウルドゥー語版の販売のため一か月間カルカッタに送られ、カクは同じ目的でラクナウ、ラホール、パンジャブへ派遣された。
カルカッタ滞在中、ベイリーは偶然、兄と連絡が途絶えていたバーバーの父方の叔父(シェリアルの弟)に出会った。ベイリーは甥の高い境地について叔父に伝え、メヘラバードに戻るとそのことをバーバーにも告げた。1
1924年4月20日午後4時、グルマイとルストムがバーバーのための特別な食事を持って到着した。彼らはイラン協会の機関誌『アクバル』(Ahkbar)の一冊を持参しており、その中にはウパスニ・マハラジのグジャラート語伝記に対する批評的な書評が掲載されていた。ソラブジ・デサイは同紙に、メヘル・バーバーに会ったこと、そして彼こそ「ジャガト・グル[宇宙の導師、アバター]の到来」であると完全に信じていると述べる記事を寄せていた!
グルマイはバーバーの食事を持って、毎日メヘラバードに通っていた。彼女、そしてアディとルストムからの資金援助のおかげで、メヘラバードでの作業は大いにはかどった。小屋の石床は一週間ほどで完成する見込みであったが、わずか二日で仕上がった。四月はインドでは盛夏の只中で暑さは厳しかったが、それにもかかわらず多くの作業が成し遂げられた。
翌朝、マンダリが各々の務めにあたっている時、バーバーがやって来て言った。「今日ナヴァル[タラティ]が来ます。彼はきっと皆のために果物を持ってきてくれるでしょう。」
バーバーは同じことを繰り返したが、ナヴァルが妻ディナと義母ルパマイを連れてボンベイから到着した時、果物は何一つ持って来ていなかった。
バーバーはマンダリを失望させたとして彼を叱り、こう言った。「夏の太陽の下で彼らがどれほど汗水流して働いているかをご覧なさい。彼らはまるでラバのように働いているのです!しかし彼らが落胆する必要はありません。きっと他の楽しみがやって来ますから。」
間もなく、グルマイとルストムが菓子の包みを携え、その日ルストムの妻フレイニが男の子を産んだという嬉しい知らせと共にアフマドナガルから到着した。バーバーはこの慶事を祝してマンダリに菓子を配り、子に自らの名にちなんでメルワンと名付けた。2
ジャルバーイはこの頃再びメヘラバードでマンダリと共に暮らすようになっていた。4月22日、彼とアディ・シニアは小屋の両脇に植えられたジャスミンの苗木に、午前7時30分から10時まで、午後4時30分から7時30分まで水をやる役目を与えられ、そのため他の作業からは免除された。
脚注
- 1.バーバーの叔父の名は知られていない(メルワンであった可能性もある)。バーバーは若い頃カルカッタで働いていたが、叔父に会ったかどうかも分かっていない。
- 2.メルワン・ルストム・イラニは後にメールーとして知られるようになった。
