舞台を降りて去ろうとしたまさにその時、バーバーはマンダリーとメヘラバードの住人たちに立ち上がって敬礼するよう求め、彼らは敬虔にそのようにした。歓呼の声の中、バーバーは午前10時30分にアフメドナガル・センターからメヘラザードへと出発した。まだ隠遁中であったが、バーバーはアフメドナガルの献身者たちの愛に応え、慈悲の中で、特別にダルシャンを与えるために来ることで彼らの祈りに答えた。車に乗り込むと、大勢の人々がバーバーに触れようと殺到し、触れることができなかった者たちも車に触れることで満足し、バーバーの神聖な臨在の恩恵を得た。
メヘラザードに到着すると、バーバーはプーカルとケシャブ・ニガムにバーバーの名によるハミールプルでの活動に関する事柄について話し合った。一泊した後、彼らは自宅へ出発した。
バーバーは19日にカルチュリ家、パドリ、アーディーをメヘラザードに呼び、6月にクシュルー・クォーターズに移ることを最終決定した。ジャルバイは20日に到着した。
1963年3月21日、その日のダケーのイラニ新年の挨拶に応えて、バーバーは彼にこの電報を送った。「永遠なる者が、その儚き者たちに愛の祝福を送る。」
プーナのM・N・ミルザーというバーバーの愛する者は、妻の不安定な精神状態のために人生で大きな困難を経験していた。バーバーは3月23日午後3時にメヘラザードで彼に会い、師の祈りと悔悟の祈りを彼の前で唱えさせた。バーバーはミルザーに毎日祈りを唱えるよう指示し、ミルザーは30日にグルプラサードで再びバーバーに会えると告げられた。
