第4章: 旅路
1924年· ババ 30歳ページ 492 / 5,444
数日にわたり、バーバーはイタルシ一帯を巡り、聖者たちと、そしておそらく数人のマストとも接触した。彼の単独の放浪の詳しい記録は残っていない。しかし内的作業のためにイタルシに留まったこと、そして自分の動向を秘めておきたいと望んでいたことは明らかであった。おそらくこれが、メヘル・バーバーが成人してからマンダリを一人も伴わずに単独で旅した、唯一の機会であった。
一週間ほど姿を消した後、バーバーは1924年3月末にメヘラバードへ戻り、再びマンダリを身近に集めた。カスバ・ペートのマンダリ——アルジュン、チョウダリ、コンディラム、ヴィシュヌら——もプーナから呼び寄せられ、メヘラバードに滞在した。
アバターの内的作業は宇宙的な規模で行われており、その特定の行動——旅程の変更すべてを含めて——を理解することは不可能である。アバターのあらゆる行動は、目に見えない無数の結果をもたらす。メヘル・バーバーは時折、ある一人に話しかけているのに、傍らで聞いていた別の者がその言葉を自分に向けられていると感じることがあった。彼の行動が秘める目に見えない力の大きさは、決して想像し得るものではない。
おそらくペルシアへの旅と、そのたび重なる計画変更の一面は、当時バーバーがペルシアの人々と国に関して行っていた内的作業と関係があったのであろう。(バーバーは当時、マンダリにそうした趣旨を示唆していた。)メヘル・バーバーがそこに居合わせたことが、実際にその地の人々の意識に変革の種をまいた。バーバーのペルシア訪問の後、より良い方向への変化が国全体を覆った。一年半後、レザー・ハーンがシャー(国王)として即位し、国はしばらくの間、その執政により大きな益を受けた。また、バーバーの旅の後、少数派(ゾロアスター教徒など)に対する宗教的敵意や迫害は消え失せ、国は徐々に近代化への歩みを進め始めた。
メヘラバードの建物のいくつかは荒廃した状態にあったため、1924年4月の間、バーバーはマンダリにその補修作業を、場合によっては取り壊しと整地作業を割り当てた。この作業には、土や石を運ぶために用いる丸い鉄皿、ガメラが使われた。そのためこの労働は冗談まじりに「ガメラ・ヨーガ」と呼ばれるようになった。
この労働期間中、典型的な一日は午前5時に始まり、全員が午前7時まで各自の宗教に従って祈祷をささげるよう求められた。午前7時から8時までは、ミルクを入れない茶と粟のバクリによる朝食が供された。
