第37章: 東西の集い
1963年· ババ 69歳ページ 4,914 / 5,444
上記の固い見解を持って、ある人々は除幕式ではいかなるヴェーダの儀式も行われないと表明しました。安置式でヴェーダの儀式は不要であるというのがバーバーの命令なのか、私には分かりません。ヴェーダはアバターであるバーバーご自身の創造です。私たちはまさにヴェーダにおいて、自分たちの宗教を学ばなければなりません。ヴェーダはその方ご自身の創造であるため、その権威は来たるすべての時代にわたるものだと、あなたも同意されるでしょう。
儀式は宗教の幼稚園です。儀式は現在の世界に絶対に必要です。ただ、私たちは人々に、より新しく、より新鮮な儀式を与えなければならないでしょう。バーバーが儀式の廃止を全面的に主張しておられるのではないと、私は確信しています。既存の儀式の中から、新しいものが発展していかなければならないでしょう。あらゆるものの中には無限の発展力があります。それが私の偽りのない信念です。バーバーはこれを明らかにし、私の直観の目だけでなく、すべての人の直観の目を開いてくださらなければなりません。
ヒンドゥー民族の歴史を通じて、破壊の試みは一度もなく、ただ建設だけがありました。しかし、破壊を望んだ唯一の宗派である仏教徒は、インドから追い出されました。ラマヌジャ、マダヴァ、チャイタニヤは建設的でした。1ヒンドゥー民族の進歩は、ヴェーダの理想の実現へ向かってきました。ヴェーダの理想を拒む改革宗派や宗教が現れるたびに、それは排斥されました。これは過去の歴史でした。
神へ至る無数の意見と無数の道があります。クリシュナとしてのバーバーは、その普遍的で神聖な歌である『バガヴァッド・ギーター』において、ドニャン [知識]、カルマ [行為]、バクティ [献身、愛] という三つの道を示されました。さらに、世俗の人の知識、献身者の知識、そして化身の知識が、決して同じ程度ではないことはよく知られた事実です。また、献身者の間には上等、中等、下等という異なる水準があることも認められた事実です。このすべては『ギーター』に述べられています。
神の愛に到達するには、まず聖なる人々との交わりが必要であり、それが神へのシュラッダー [信仰] を目覚めさせます。次にニシュタ [一点に向けられた献身] が来ます。ニシュタの後にバクティ [愛] が来ます。次にバーヴァ [恍惚] が明け初めます。次にマハー・バーヴです。最後にプレーム、すなわち神聖な愛です。もちろん、アバターの恩寵が降りれば、愛は一瞬で明け初めます。それは百万人に一人に訪れます。過去から続いてきた献身者たちの間に、これほど多くの道、段階、水準があるのですから、誰も突然ジャナク王にはなれないということに、バーバーも同意されるでしょう。ジャナクでさえ、孤独の中で多くの苦行を実践しました。2
脚注
- 1.ラマヌジャ(一〇五五-一一三七)は南インドの著名なヒンドゥー聖者でありヴェーダ哲学者だった。マダヴァは、マヌ・バウティヤという別のリシ [賢者] のもとにいたリシだった。チャイタニヤはベンガル出身のサドグル(一四八六-一五三四)で、神の悟りに至るための神聖な愛の道を強調した。彼は「ハレー・クリシュナ! ハレー・ラーム!」のマントラを完成させた。
- 2.ジャナク王は、ロード・ラームの妻シータの父だった。ジャナクはその時代の五人の完全なる導師の一人だった。ジャナクは、ヨーガと神への愛を世の享受と結び合わせた、理想的で慈悲深い王と見なされている。
