第4章: 旅路
1924年· ババ 30歳ページ 490 / 5,444
朝、彼らは駅の公共の水道で身を清めた。プライバシーを確保するため、彼らは四方に毛布を吊るして即席のシャワー仕切りを水道の周りに作った。バーバーの命令により荷役人を雇わないことになっていたため、マサジとヴァジフダルがすべての荷物を列車まで運ばねばならなかった。彼らの荷物は重く扱いづらかったが、見送りに来ていたナーヴァスの助けを借りて、間に合うようすべてをクエッタ・メール列車に積み込むことができた。
後にハイダラーバード駅で乗り換える際、マサジは寝具一式を紛失した。この一件によって、グスタジとマサジの間で激しい口論が起こった。後にバーバーは自身のシーツとウールの毛布をマサジに貸して彼をなだめた。ベーラムジ不在の中、ヴァジフダルは総監督の任務を割り当てられ、切符を購入し、食事を整え、荷物が適切に積み込まれているか確認しなければならなかった。監督役の頭痛の種に加え、ヴァジフダルはバーバーの絶え間ない「矢」(揶揄と批判)にも耐えなければならなかった。バーバーは特に彼を選んでけしかけ、それがヴァジフダルにとってさらなる精神的重荷となった。
ネパールへ向かう途中、列車はラクナウに停車し、バーバーは新しいサンダルを買いに町へ出た。気に入る品が見つからず、彼は駅へ戻った。彼は常にイェシュワント・ラーオから贈られたカムリのウールのコートと、カンホーバ・ラーオが作ったサンダルを身につけていた。何故かそれ以外のコートやサンダルを身につけようとはしなかった。
ネパール国境のラクサウルで停められ、バーバーと男たちは国境を越える許可を拒まれた。彼らはラクサウルに留まり、入国ビザを求めて様々な政府機関に電報を送った。もし数日早く許可を申請していれば容易に取得できたであろう、と彼らは知らされた。当時ネパールではチベット仏教徒の集会による宗教祭が開催されていたためである。しかし、祭が終わった今、外国の旅行者は国内に入ることが許されず、商売、貿易、あるいは何らかの公的な政府業務に従事する者だけが許可を与えられていた。
ネパール行きの計画を断念し、バーバーは代わりに男たちをマガルにあるカビールの墓へ連れて行き、そこで二日間留まった。名高い15世紀の詩人にして完全なる導師であったカビールは、ムスリムの織物職人の家庭で育った。しかし、彼は実はバラモンの未亡人の息子であり、子のない夫婦に養子に出されたのだ、と言う者もいる。
