第4章: 旅路
1924年· ババ 30歳ページ 489 / 5,444
ある時、傲慢なアラブ人が、ナーヴァスに丁寧に動かしてくれと頼むのではなく、その寝具を蹴飛ばして脇に放り投げた。バーバーはすぐにナーヴァスがその男に立ち向かうのを止めた。また別の時には、あるアラブ人が同胞のムスリムが西を向いてナマーズ(礼拝)を捧げないと罵った。しかし翌朝、その同じアラブ人が、慣わしである手と足を洗うこともせず、寝床から起き上がるや否やナマーズを行う様が見られた。
バンダル・アッバースへ向かう途中、バーバーは思いもよらず、そこで停まって再びペルシアへ戻る話を持ち出した。男たちが即座にその考えに難色を示すと、バーバーは彼らの熱意のなさに驚きを示した。バーバーは全員がバイドゥルとベーラムジと共に下船することを望んでいた。しかし、彼らがバンダル・アッバースに着いて岸へ運ばれようとしていたまさにその時、パドリの体温が再び心配なほど上がったため、計画は変更され、バイドゥルとベーラムジだけが下船した。船はおよそ二時間錨を下ろしたままで、その間にパドリは少しずつ良くなっていった。汽船が出発する15分前、バーバーは一行を岸へ連れて行く渡し舟を雇わせた。するとまたしてもパドリが突然熱を出し、ついにインドへ戻ることが決定的となった。パドリはカラチでナーヴァスと共に残ることになり、ナーヴァスは彼が旅をできるほど回復するまで世話をすることになった。
ネパールのグルカ兵たちが船に乗り込んできた。彼らは親しみやすく、バーバーの容貌を称賛していた。彼らがネパール訪問を気軽に提案すると、バーバーは同意し、カトマンズへ向かうことを決めた。
貨物船はリンゲ、ヘンジャム島、マスカットの港を経て、1924年3月7日にカラチへ到着した。ヴァジフダルはナーヴァスとパドリをピラマイの家まで付き添っていった。マサジは荷物を駅まで運ぶために牛車を雇いに行った。バーバーが直ちに列車でネパールへ発つことを決めていたからである。代わりにトンガが手配され、荷物が駅まで運ばれて、バーバーと男たちは待合室で休んだ。ベイリーはおそらくここでバーバーと会い、プーナへ戻って彼からのさらなる指示を待つよう指示されたものと思われる。ヴァジフダルは午後10時に戻り、彼らはほどなく眠りについたが、各自が一時間ずつ交代でバーバーの傍に付き、また荷物を盗難から守らねばならなかった。彼らは旅の間中、穀物と米の袋を携えており、食料の管理責任はマサジとヴァジフダルに任されていた。
