第4章: 旅路
1924年· ババ 30歳ページ 486 / 5,444
領事は彼らにペルシア語で質問し、男たちの一人がペルシア語でこう答えた。「申し訳ございません、領事様。私たちはペルシア語を話せません!」領事はこの返事に驚きつつも面白がり、ためらうことなく全員のパスポートを承認した。その後バーバーは、これからの旅について話し合い、その経路の方が旅費が安くつくため、バグダッド経由ではなくバンダル・アッバース経由でイランへ向かうことに決めた。この決定を受けて、2月15日に公式合意書への追加条項が作成され、マンダリは印紙文書に署名した。内容は次のとおりであった。
下記署名者である我々は、ここに、各自の自由意志と同意のもとペルシアへ赴くことを宣言し、これに同意いたします。また、いかなる状況下においても、身体的、精神的、または経済的に発生し得るあらゆる事故について、我々自身が責任を負うことを誓います。すなわち、メヘル・バーバーは我々が同行する間の旅の結果やその他いかなる事柄についても、一切責任を負わないものとします。
しかし経路は再び変更され、バグダッド経由で旅することに決まった。また、バーバーに同行するのは八人のみと決定された。他のマンダリは各自の家に残り、バーバーがペルシアから戻った後に再合流することとなった。
ナヴァルはすでにバンダル・アッバース経由の汽船の切符を購入していた。切符を変更するのは彼にとって難しい仕事であったが、追加費用を出すことなく変更を成し遂げた。しかし、ペルシアの様々な人々へ電報を送る追加費用は莫大なものとなった。
バルチャ・ビルディング滞在中、バーバーはマンダリに3回、24時間の断食を命じた。ペルシアへの旅は再び ── 2月14日から22日へと ── 延期されたため、バーバーの誕生日は1924年2月19日火曜日にもう一度祝われた。時折バーバーは、自らの庭の薔薇であるメヘラに会うために、わざわざイラニ・マンションへ赴いた。また、ナヴァルとブルジョルの家も訪れた。
2月22日、バーバーは予期せず午前3時にマンダリを起こし、こう尋ねた。「今日ペルシアへ発ちましょうか、それともやめましょうか?」
ベーラムジは数日にわたり熱に苦しんでおり、全員が旅の延期を望んでいた。
しかしバーバーは出発を望み、こう命じた。「今日必ず参ります。準備をしてください。」
荷物は牛車で波止場へと運ばれ、男たちは大急ぎで出発した。
彼らは午前7時30分にSSヴァレラ号に乗船し、その2時間後にボンベイ港を出港した。
