第36章: 無関心であることに関心を持つ
1962年· ババ 68歳ページ 4,810 / 5,444
その年の沈黙の日に向け、バーバーは愛弟子たちに、7月9日深夜から10日深夜までの24時間、完全な沈黙を守ることを望んだ。沈黙を守ることがどうしても叶わぬ者には、7月10日の午前8時から午後8時までの12時間、水すら口にしない完全な断食を行うよう指示された。彼らは断食を始める前の朝に、紅茶もしくはコーヒーを一杯だけ飲むよう指示された。
バーバーの沈黙37周年を記念して、1962年7月15日、アフマドナガル・センターの愛弟子たちは数百人の貧しい人々のために食事を作り、無償で振る舞った。彼らはバーバーとメヘラザードのすべての者のために食事を届けてよいかと許可を求めたところ、バーバーは「貧しい者の中でも最も貧しいこの私は、喜んで受け取ります」と答えた。(チャガンとルストム・カーカは、毎週一度バーバーとマンダリのために食事を届けることを提案したが、バーバーは許可しなかった。)
二日後の17日、バーバーの指示に従い、パドリ、スシラ、そしてカルチュリ家の人々は午前9時にデソートでメヘラザードへと送られた。彼らは一日中バーバーと共に過ごし、午後4時にメヘラバードへと発った。
ここに至って、東西集会のための最終準備が始まった。マニとエルチは書簡やその他の事柄に追われており、他のマンダリも皆同様であった。ダルシャンはメヘラザードで絶えず話題にのぼり、バーバーはそれに関する指示を与えた。来訪を予告してきた西方の人々の名前がメヘルジーから報告され、バーバーに読み上げられた。来たくとも来られなかった者たちには、彼は次のような伝言を送った。
「ご心配なさらぬように。私はいつもあなた方とともにあり、ダルシャンの間はなおいっそうそうあります。」
バーバーはまた、東西集会で読み上げられるべき幾編かの談話を口述した。8月4日、彼は「四つの旅」についての説明を述べた。1
ホシャン・バルチャはその月の終わり頃にアフマドナガルを訪れる許可を与えられた。彼が到着する前に、バーバーは8月6日にこの電報を送った。
「あなたは最後の最後まで私にしがみつくべき者の一人です。なぜなら、マーヤーが私の愛弟子たちに私を握る手を離させてしまうかもしれない時が近づいているからです。[1962年]11月以降、あなたは熱望しているものを得るために、すべてを犠牲にしなければならなくなりますから、そのときは私に100パーセント従わなければなりません。」
イラン暦によれば、1962年8月6日(月曜日)は預言者ゾロアスターの誕生日であった。その日、一か月前にプーナから戻って以来初めて、バーバーはメヘラザードを離れ、そこのマンダリと住み込みの家族に会うためにメヘラバードを訪れた。普段、バーバーはメヘラバードに行くたびに、グルマイに会うためにクシュル・クォーターズの近くに立ち寄っていた。この頃、グルマイは病に伏していた。しかしエルチはこれより三日前にアディに手紙を送り、バーバーは6日には立ち寄らないが、アクバル・プレス・ゲートで短く立ち止まってそこで愛弟子たちに会い、12日にクシュル・クォーターズへグルマイを見舞いに行くつもりであると伝えていた。
脚注
- 1.『すべてと無』(メヘル・ハウス・パブリケーションズ、オーストラリア)、22–26頁を参照。
