第36章: 無関心であることに関心を持つ
1962年· ババ 68歳ページ 4,805 / 5,444
1962年7月1日は、バーバーがメヘラザードへ戻るためにプーナを発つ前の最後の日曜日であったため、「カード遊びをする者たち」が午後4時に呼び集められた。一方、プーナの協同組合大学の学長がその日バーバーに会いたいという希望を表明した。その日がその人の誕生日であったので、バーバーは承諾した。学長は妻を伴い、立派な花輪と菓子の箱を持参した。バーバーが間近に迫った東西ダルシャンに触れると、その人は11月の第一週、バーバーを愛する者たちが大学の寄宿舎を使えるようにすることに快く同意した。十分ほどの面会のあと、夫妻は立ち去った。
この頃には、バーバーに親しい男性のマンダリ30人が到着していた。ラ・リスクのゲームが行われた。誰がどちらの側にいるのかを見分けるのは容易ではなく、勝った側の何人かがバーバーの前でうっかり自分の鼻をこすることもしばしばあった。バーバーはそのゲームを楽しんだ。その朝、バーバーはこう述べた。
「私が何の意味もなくカード遊びをしているとはお思いにならないでください。そのすべては、私の働きと結びついているのです。」
午後5時15分頃、カード遊びが終わり、バーバーはファナ(fana)、バカ(baqa)、そしてサッドグルまたはクトゥブの境地について次のように説明した。彼はシャムス・エ・タブリーズの次の一句を引きながら語り始めた。「ただ一人の進んだ魂が神を実現するためにすら、幾度もの周期が必要なのである。」
そして現在、インドでは何をご覧になりますか?サッドグルという語は、本来、神となり神の生を生きる人物を意味するのに、きわめて緩やかに使われています。町や都市に行けば、サッドグルと呼ばれる人々を必ず見かけます。それはそれほどに安っぽい体験であり、それほどにありふれた境地でありましょうか?人が神と一つとなり、同時に創造のあらゆるものとも一つとなる、その境地のことです!
聖者(saint)、土地の言葉でサント(sant)という語は、一般に、服装や振る舞いが普通の人とは異なり、祈りと献身の生活を送る人々に対して用いられます。サット(sat)という語は「真実の」を意味し、日常的な用法では「善き」を意味します。したがって、品行が正しく、生活様式が一般の人と異なる者は、とりわけ村人たちから聖者として扱われます。おもしろい[皮肉な]のは、そのような称号で敬われている人々さえもが、これらの言葉が指し示す意味をほとんど悟っていないということです。
