第36章: 無関心であることに関心を持つ
1962年· ババ 68歳ページ 4,802 / 5,444
ある土曜日、好奇心から一人のセブンスデー・アドベンチストのキリスト教徒がグルプラサードへバーバーに会いに来た。その男はバーバーに講話を求めたが、バーバーはこう答えた。「どうしてそれができましょうか? イエスは安息日に働いてはならないと言われました。そして、私にとってはこれは仕事なのです。」しかし彼は、その人にいくつかのことは説明してやった。
1962年6月の第一週、バーバーは絶え間ない頭痛と頸椎部の痛みを覚え始めた。ゴヘルは、朝の汽車でボンベイに行き、ギンデに相談して夕方に戻ってもよいかと尋ねた。バーバーは彼女が行くことを許した。面会の席で、ギンデは脊椎の頸椎部のX線撮影を行うよう提案した。ゴヘルがグルプラサードに戻ってから、6月6日にそれが行われ、ディクシット博士にも診てもらった。その後、X線写真はギンデに送られた。それらを調べた結果、彼はバーバーが頸椎症を患っており、いくつかの椎間板が摩耗していることを発見した。彼は首を伸ばして神経を圧迫しないようにするため、金属製の牽引カラーの使用を勧めた。
バーバーは、ギンデ博士がプーナに来てカラーを作れるよう、自分の首の型をとることを許した。それは実行され、バーバーは毎日ベッドに横たわって数時間それを着けることになった。そのカラーを着けている間、バーバーは頭を動かすことも、口を開けることさえできなかった。それはこの上なく不快なものだった。三か月間その金属製の牽引カラーを着けたのち、それは柔らかいカラーに替えられ、バーバーは生涯を通して時折それを着けていた。
この苦しい首の状態のため、バーバーは6月半ばに、11月のダルシャン日程を七日間から四日間に短縮すると発表し、その知らせは(6月22日付の)マニの『ファミリー・レター』および『ライフ・サーキュラー』を通じて、東西のすべての人々に伝えられた。
ペンドゥは6月6日に病院からグルプラサードへ連れ戻された。彼はヴィシュヌと特に親しく、戻るまでヴィシュヌの死を知らされていなかった。8日、メヘルダスは誰にも告げずに突然グルプラサードを離れ、ハミルプルの家へ向かった。それ以後、彼は公の行事の際にバーバーのもとへ来ることはあったが、二度とバーバーとマンダリと共に暮らすことはなかった。
6月16日、コドゥリ・クリシュナ・ラオがグルプラサードに来て、バーバーと、11月にやって来る西洋人たちを、彼がメヘルスタン・センターのために依頼した実物大のバーバーのブロンズ像の除幕式に招いた。バーバーはそれは無理だと言ったが、シャンタデヴィとアディが式典に出席することは許した。
また別の気軽な外出で、バーバーはバプサーヘブ・シンデの靴屋を訪れた。シンデは、洪水で在庫の大部分がほとんど駄目になった後、商品を補充していた。
6月24日の日曜日、プーナ出身の名高い歌手ヒラバイ・バロデカルと、その妹サラスワティバイ・ラナイが、バーバーの前で音楽演奏を行った。
バーバーはその朝、キルキーにあるK・K・ラマクリシュナンの家を訪問する予定で、エルチはその訪問を延期するよう提案した。バーバーはその訪問を取りやめたくなく、何人かのマンダリを連れて出かけた。バーバーがラマクリシュナンを会話に夢中にさせていたため、エルチがお茶を入れなければならなかった。一時間後、バーバーはグルプラサードに戻った。のちにガジワニがボンベイから到着し、キルナニ夫妻はアフマドナガルから到着した。キルナニ判事は、最近アフマドナガルの裁判所へ転任していた。
キルナニは1962年7月1日の日曜日、妻のギルジャと共にグルプラサードに戻った。バル・ナトゥもその場に居合わせていた。バーバーは午前9時30分頃、マンダリの部屋に入ってきた。彼は何かに気を取られ、深刻な様子であった。
「昨夜は一睡もできませんでした」と彼は語った。「体中がまだ痛みます。」
