第36章: 無関心であることに関心を持つ
1962年· ババ 68歳ページ 4,801 / 5,444
ある日、バーバーを愛する者ではない一人のパールシーの法廷弁護士がバーバーに会いに来た。彼はバーバーの神性に納得せず、こう尋ねた。「なぜご自身が主張するものを証明なさらないのですか? なぜ何の奇跡もなさらないのですか?」
バーバーはまず笑い、それから長々と語った。
限界もなく、形もなく、境もない創造主[神]は、自分の被造物に対し、自分が創造主であることを証明する義務はないのです。被造物の側こそが、創造主を知り、見出し、悟るべきなのです。
父親というものは、自分の息子に自分こそが本当の父であると証明しようなどと、夢にも思わないものです。それでも息子が父を疑うならば、当然、彼は本当の父を探そうとします ― そして最終的に、息子は父の言ったことが真実であると確信するのです。
あなたは公然たる奇跡について語っておられます。私をマダーリ[手品師]だとお思いですか?イエス・キリストは無知な者たちによって公然と辱められ、石を投げつけられ、唾を吐きかけられました。ペテロや[ヤコブ]のような彼の使徒たちはこれを目にすることに耐えられず ― そして群衆をなだめるために奇跡を行うようイエスを説き伏せたのです。1イエスはそうすることを気が進まなかったにもかかわらず、使徒たちを失望させないために、公然と奇跡を行ったのです。
その結果、何が起きましたか?彼は手品師だと告発され、裁判にかけられ、有罪とされ、磔にされたのです。
もし私が、過去四十年にわたって自ら名乗ってきたまさにその存在であるならば、私がそのようなことを行うのが不可欠だとお思いですか?申し上げたように、形のない神が、人々が目覚めを必要とするときにそれを目覚めさせるため、死すべき人間の肉体に姿をとると ― ほんの一部の者だけが彼を受け入れ、彼の語ることは何であれ嘲笑され、ばかにされるのです。しかし、形のない同じ[非人格の]神 ― ごくわずかな幸運な者たちだけが悟った方 ― は、忠実に確信をもって受け入れられているのです。
私がたびたび申し上げてきたように、この肉体こそが、私が自ら名乗っている存在というわけでは本当はないのです。そして、こうした子供じみた問いは、ただ私を面白がらせるだけです。神はあなたの激しい愛を必要としています。神は、あなたが神に逆らう代わりに、その愛のために塵となることを必要とされているのです。神に逆らうよりは、神を否定するほうがましです。
神の道は神秘に満ち、その神秘を理解するのは神ひとりだけです。「クダ・キ・バーテン・クダ・ヒ・ジャーネ [神のことは神のみがご存じ]。」神ひとりだけが、自分の言葉を知っており、それを理解するのです。
あなたにとって本当の試練のときは必ずやって来ます。そのとき、あなたは私のもとに留まり、私のダーマン[衣の裾]を握り続けるかどうかを決めなければならないでしょう。
脚注
- 1.原文は「ペテロとパウロ」となっていたが、タルソスのサウロ(後にパウロと改名)は、イエスがエルサレムで生きていた間、イエス・キリストと関わりはなかった。熱心党のラビであったサウロは、イエスの信奉者を迫害する者となった。イエスの磔刑とエルサレムからの肉体的消失の数年後になってから、サウロは「ダマスコへの道でキリストの光を見」、ペテロとほかの使徒たちに出会い、パウロと改名されたのである。ヤコブは最初の十二使徒の一人であり、使徒ヨハネの兄であった。
