第36章: 無関心であることに関心を持つ
1962年· ババ 68歳ページ 4,800 / 5,444
一九六二年五月十五日火曜日午後四時、グルプラサードでラム・シンディ・カッワールが出演するもう一つの音楽公演が催された。公演は二時間にわたって続き、プーナ現地の愛人(ラヴァー)たちにも出席が許された。アディはダケと共にアフマドナガルから二日間訪れ、ベルガウムの土地とヴィシュヌのその他の財産をどう処理すべきかをバーバーと協議した。翌日もこの協議は、メヘルジー、エルチ、ラムジュー、サダシヴ・パティルとの間で続けられた。スシラがやって来て、バーバーと短い間面会した。1
ヴィシュヌの親戚にあたるハルダンカル一家は十七日にやって来て、バーバーの前で涙を流し、自分たちがヴィシュヌに対して起こした訴訟について彼の許しを請うた。ハルダンカルは無条件で訴えを取り下げる旨の書状に署名させられ、バーバーもそれを受諾したしるしに副署した。
判事を務めるプレム・キルナニは、法的な解決を取り計らうために呼ばれていた。協議の最中、キルナニはバーバーの意見を尋ねた。「この方法で和解を成立させた方がよろしいとお思いでしょうか?」
バーバーは微笑んで「私は思うのではありません。私は知っているのです!」とお答えになった。
一九六二年五月二十七日日曜日には、東西集会の宿泊問題を協議するため、プーナの奉仕者たちのもう一つの会合が開かれた。六月二日、ケシャヴ・ニガムが到着した。
バーバーがメヘラザードへ戻る前に、彼との日曜の集まりがあと数回開かれた。六月三日日曜日には、パトワルダンが午後四時から六時までリサイタルを行った。バーバーは大いに気に入り、その歌い手を抱擁しながら自分のハンカチを贈った。集まった者の中には、ジョセフとカリ・ハーブもいた。バル・ナトゥは夏期休暇の間グルプラサードに滞在しており、その日クルドゥワーディの自宅へ向けて発った。
一九六二年六月四日の晩、午後七時、ジョセフはバーバーが一九五六年と一九五八年にアメリカを二度訪れた折に撮ったスライドをバーバーに見せた。親しい愛人(ラヴァー)たちおよそ百名が出席した。スライドショーが始まる直前、バーバーはカムラ・バンダリーの方を向いて、こうおっしゃった。
「私はあなた方一人一人の中に私自身を見ます。この一なる体験は唯一無二のものです。それは説明することはできません。ただ体験するほかないのです。それは無限です。」
ある日曜の集まりで、一人の弁護士がバーバーに、自分の息子ゴーヴィンドが、バーバーは長年の沈黙を破る際に本当に声に出してお話しになれるのかと自分に問うてきた経緯を語った。バーバーは少年の方を向き、にっこりと微笑んで、力強くうなずいた。
「そうです、私は声に出して話しますとも」と彼はジェスチャーで示した。「むしろ、私が沈黙を破るとき、それは誰が発するどれほど大きな声よりも、はかり知れぬほど鮮明に聞かれることでしょう。」
脚注
- 1.ヴィシュヌの死後、スシラは下メヘラバードの古いダラムシャーラーに付設して彼女のために建てられた一室に移り住み、メヘラバードに永住した。
