第36章: 無関心であることに関心を持つ
1962年· ババ 68歳ページ 4,797 / 5,444
ペテロをご覧ください。彼はイエスを否認したのです!絶望が彼の心(マインド)に否認させたのですが、その胸の内で、ペテロはイエスがその本来のお方——キリストであることを知っていたのであります。普通の人は決して信を失うことはありません。彼は山をある程度まで登り、寒さと呼吸の困難を味わって、ふもとへ戻ってくる者のようなものです。しかし科学的な心(マインド)は、その胸が凍てついて死に至るまで、山を登り続けます。しかしこの心(マインド)は、なおその先に広がる広大さに茫然とするあまり、自らの探求の絶望を認め、実在である神へと向き直らざるをえなくなるでしょう。
四月末、コルシェッドはプーナ滞在の終わりまで、グルプラサードの女性たちに合流した。バーバーは時折、コルシェッドの母スーナマシをビンドラ・ハウスに数日滞在させるために呼び寄せたが、後年は彼女の健康が思わしくなかったため、スーナマシはボンベイに留まるのが最もよいとバーバーは示した。二十五日にはアルナバズ、ナルギス、アル・カンバタが訪れた。
五月一日、来るべき東西集会の準備を協議するため、三十人のボランティア奉仕者の会合が開かれた。ナーグプルから到着していたデーシュムクもその場に居合わせた。
一九六二年五月六日日曜日にも別の会合が開かれ、同日、プーナとボンベイから親しい者およそ百五十名が集まって、プーナの全インド放送局所属の三人のプロ音楽家の演奏を聴いた。ゴルワルカルがサーランギを、カマトがタブラを、ラクシュマン・ワーゼーがシタールを奏でた。心を揺さぶる演奏であった。バーバーが彼らに、その演奏が最高であったと述べると、ゴルワルカルは「ひとえにあなた様がおいでくださったおかげでございます。私どもはこれほどよく演奏したことが、これまで一度もございません」と申し上げた。バーバーは彼ら一人一人を抱擁した。バーバーは普段、器楽だけの演奏は好まなかったが、その日は大いに楽しんだ。
一九六二年五月七日、ハリー・ケンモア博士がまったく思いがけずプーナに到着した。彼はネピア・ホテルからグルプラサードへ電話をかけ、エルチが受話器を取った。ケンモアの声を聞いて驚いたエルチは、どこから電話をかけているのかと尋ねた。ケンモアが大声で自分はプーナにいると答えたとき、エルチは彼がいつものようにニューヨークから電話をしてきたのだろうと思って笑った。ケンモアはプーナに二週間滞在し、毎日グルプラサードを訪れてバーバーとマンダリと共に過ごすことを許された。
デーシュムクは毎日バーバーのためにキールタンを行った。フランシスは、自分には理解できないインドの言語で多くが朗誦されるため、ときどき苛立つことがあった。そこである日、彼はデーシュムクに英語でキールタンを行ってはどうかと提案し、デーシュムクは英語でいくつかを作り始めた。
