第36章: 無関心であることに関心を持つ
1962年· ババ 68歳ページ 4,796 / 5,444
一九六二年四月十八日水曜日、バーバーは「物質主義の夢」と題するこの談話を語った。
世界の状況、いたるところに広がる争いと不安、そしてあらゆる状況に対する全般的な不満と反抗は、物質的完全の理想が空虚な夢にすぎないことを示し、物質を超えた永遠なる実在が存在することを証明しています。もしこの実在が存在しないのであれば、科学がもたらした幾百万の人々の増大した物質的安寧は満足と充足を生み出していたはずでありますし、科学が一般の意識のうちに投じてきた途方もない想像力は幸福を解き放っていたはずでありましょう。人は、これほど多くの成就と、さらなる成就への約束がかつてあったためしはないと思っております。しかし事実は、これほど広く不信と不満と悲惨が蔓延した時代もまた、かつてなかったのです。科学の約束は空虚であることが証明され、その展望は偽りであることが明らかになりました。
実在のみが真に実在します。語りうる唯一の真なることは次のことです——実在は存在し、真なるものでないすべては幻想としての他には存在しません。胸の最も深いところで、人々はこのことを知っております。彼らは一時、幻想の偽りの約束にたぶらかされ、それを実在と思い込みますが、真なるもの以外、彼らを満足させうるものはないのです。そして彼らは、ほとんど際限のない偽りの想像の戯れがしだいにもたらす悲惨に、うんざりしてしまうのです。これが今の一般の人々の状態であります。
私でさえうんざりし、悲惨な思いをしております。私は自由であるのに、なぜそうでなければならないのでしょうか。なぜなら、ブッダがおっしゃったように、「私は永遠に自由であり、永遠に縛られている」のです。私は人々の束縛のゆえに縛られており、彼らのうんざりと悲惨のゆえに、私もうんざりし、悲惨な思いをしているのです。最も偉大な科学者たち自身、いまだ彼らの及ばぬ知の領域を前にして落胆し、自分たちの発見が解き放ちうるものに戦慄しております。彼らが完全な困惑を認め、人々が神と呼び、知性によっては近づきえないこの永遠なる実在の存在を確言する日は、もはや遠くありません。
普通の人は、物質主義が約束する報いを奪われることに完全にうんざりし、外見上は神の存在を否定し、目先の利益のほかには何ものに対する信もすべて失っているように見えます。けれども彼は、生まれながらに持つ神への信、そして一瞬の幻想を超えた実在への信を、決して真に失うことはないのです。彼の見かけ上の疑いと信の喪失は、ただ心(マインド)の絶望によるだけのものであり、彼の胸には触れないのです。
