第36章: 無関心であることに関心を持つ
1962年· ババ 68歳ページ 4,790 / 5,444
ドン・スティーブンスはあのときの様子を生き生きと回想した。「抱擁を受けに行くときは何も問題はなかったが、あとずさりしながらエルチを見上げて微笑もうとしたとき、私はそうすることができず、両目は溢れんばかりの涙でいっぱいになっていた。自分の感情がどのようなものなのかを、私自身よりもずっと深いところで知っているような感情の層と出会ったのは不思議なことだった。」
ドン・スティーブンスはメヘルジーやハーブ夫妻とともに発ち、ボンベイから、バーバーの指示に従ってマウント・アブー、アジメール、その他北インドの各地を十日間にわたって巡ってから、ヨーロッパへと帰った。
バーバーの誕生日である一九六二年二月二十五日は日曜日にあたり、世界各地でさまざまな形で祝われた。六十八回目の誕生日であったため、インドのいくつかのセンターでは、それに先立って六十八日連続のプログラムが組まれた。バーバーはご自分の誕生日のために、(二月二日に)次のメッセージを与えられた。
私の誕生日のこの記念日に、あなた方の偽りの自己の死の日のために、そして私の中であなた方の唯一の真の自己が生まれる誕生日のために、私の祝福を授けます!
ボンベイでは、ソラブジ・シガンポリアがボンベイ・センターとして使うためにラミントン通り百六十七番地に取得した、新しい「メヘル・ホール」の落成式でアディが演説した。開所式はマハーラーニー・シャンタデーヴィーが執り行った。バーバーはボンベイのグループに、次のメッセージを送られた。
メヘル・ホールを、私の愛と真理のメッセージを聞くことを求めるすべての胸の家としてください。二十五日にメヘル・ホールに集うすべての方々に、私の愛の祝福を授けます。
プーナでは、ジョセフ・ハーブが新しいプーナ・センターの起工式で演説し、バーバーが特に望まれた通り、彼が定礎を行った。プーナのグループに対するバーバーのメッセージは次の通り。
あなた方の胸の中に、私の愛と真理のメッセージの礎石をしっかりと、誠を込めて据えてください。それによって、このアバター・メヘル・バーバー・プーナ・センターが、ここに来るすべての人々のための光となるように。あなた方すべてに私の愛の祝福を授けます。
ボーパールとデーラドゥンでは、バウの劇『ジャイ・メヘル』が上演された。しかしメヘラザードでは、いつものように、誕生日は質素で静かな規模で祝われた。その日、フランシスはバーバーに『我ら、人民よ、歌わん (Let Us, The People, Sing)』の最初の一冊を献呈した。
一九五〇年、新生活の最中に、キャラバンの牡牛のうちの一頭が、クマールの友人レク・ラージという人物に贈られていた。レク・ラージはデーラドゥンにある聾唖児学校「ナーンヒー・ドゥニヤー」の創設者だった。
