第36章: 無関心であることに関心を持つ
1960年· ババ 66歳ページ 4,720 / 5,444
翌日、バーバーはスープ、バターミルク、トースト、ビスケットを口にした。顔の右側はさらに痛みを増し、舌の水疱は剥がれつつあったものの、痛みは強まり、ついには右耳と舌根にまで及んだ。ゴヘルによる毎日の注射は続き、ドンも毎日手伝いに来た。
この間ずっと、バーバーは寝ていてほしい、あるいは少なくとも部屋にこもって休んでほしいという身近な人々の訴えに耳を貸さなかった。彼はすべてが日常通りに進むよう主張した。彼は本館の中を歩き回り、椅子に乗せられて男性たちの宿舎へ運ばれ、そこで普遍的な仕事を行った。
1960年10月12日水曜日(本来の断食終了予定日)、バーバーはご飯とダール[豆煮]を少し、それにバターミルクとスープも口にした。しかし食事をすると痛みが増すばかりであった。嚥下がひどく痛んだからである。
不思議なことに、バーバーはその夜よく眠った。しかし翌日10月13日には、痛みは顔全体に同じように広がっていた。痛みは右こめかみ、耳たぶ、舌根により集中していた。水疱にはかさぶたができつつあった。これらの部位には温湿布が施され、軟膏が塗られた。ビタミンの注射も二回打たれた。バーバーは右耳の中で「ねじを締め付けるような」痛みを訴え、もう耳が聞こえなくなりそうだと感じていた。
その日、後ほどホールでマンダリと諸事を話し合っていた際、バーバーは無限なる存在における無目的性について次のように説いた。
実在は、無限にして永遠なる存在です。存在は、実在し、無限であり、永遠であるがゆえに、目的を持ちません。存在は存在しています。存在であるからには、存在せざるを得ません。それゆえ、実在たる存在は、いかなる目的も持ち得ません。それはただ、ある(在る)のです。それは自存しています。
存在の中のあらゆるもの ── すべての事物とすべての存在者 ── には目的があります。すべての事物と存在者は目的を持ち、また持たねばなりません。さもなければ、それらはあるがままの姿で存在の中にあることはできないのです。それらが存在の中にあること自体が、その目的を証明しています。そして存在することにおける彼らの唯一の目的は、目的から自由になること ── すなわち無目的になることです。
無目的は実在に属します。目的を持つこととは、虚偽の中に迷い込むことです。あらゆるものは、目的を持つがゆえにのみ存在しています。その目的が成就される瞬間、すべてのものは消え、存在は自存する真我として顕現します。
目的は方向を前提とします。そして存在は、すべてであり、いたるところに在るため、いかなる方向も持ち得ません ── 方向は常に無の中にあり、どこへも至らないものなのです。
