第4章: 旅路
1923年· ババ 29歳ページ 470 / 5,444
それ以上の説明もないまま、準備は怒涛の勢いで進められた。すべての荷物がまとめられ、全員がその日の午後、汽船SSヴィタに乗り込んだ。こうして、カラチに二ヶ月滞在する予定であったのが、「ハルト・ホー」での生活はわずか一週間で唐突に終わりを迎えた。
カラチに滞在している間、師は人々から距離を置き、ピラマイがやって来て会うことすら禁じていた。バーバーがすぐ近くにいると分かっていたピラマイは、当然のことながら気落ちし、不安を募らせていた。ピラマイはバーバーに会いたいという深い思慕に苦しんでいた。出発前の最後の日、バーバーは彼女の家を訪ね、慈愛に満ちた微笑をたたえた姿で、彼女の心と胸を安らぎへと導いた。このような別離の時は、すでに胸を引き裂かれた者たちの中に、いっそうの渇望を生み出すためのものであった。
ベイリーはバーバーと男たちのために上甲板を予約していた。船上で、バーバーは男たちに昼の間は熱心に米を選り分けるよう言いつけた。夜のあいだは、各人が一時間ずつ夜警の役目を負った。激しく吹きすさぶ風のために上甲板は非常に寒く、筋肉が痛んで硬く強張った。
ラムジューの家系はカッチ族の末裔であった。船がカッチ・マンドヴィに錨を下ろしたとき、ラムジューは初めて先祖の地を目にした。ガニはいたずらっぽくバーバーをそそのかし、ラムジューに正統派カッチ式に背中に布切れを巻きつけ、船に乗り込んでくるカッチ人たちと彼らの母語で話してみるよう言わせた。約八百人の乗客が船に乗り込み、その喧騒の中、男たちは上甲板から、ラムジューが一人また一人とカッチ人に近づいて会話を試みる様子を眺めていた。しかし、ラムジューに見向きもする者は一人もいなかった。マンダリとバーバーは、この滑稽な光景を心から楽しんだ。
11月23日午後12時30分に船はドワーラカーを通過し、午後4時30分にポールバンダルに着岸した。ベイリーの知人であるカンダワラというパールシー教徒も乗り合わせており、何気なくマンダリに彼らのことを尋ね始め、マンダリは知っている範囲で答えた。ところが一ヶ月後、カンダワラがいくつものパールシー系新聞に歪曲され誤解を招くような記事を載せていたことが判明した。メヘル・バーバーが弟子たちと話し合っているときに、師はその内容を書き留めていたという趣旨のものだった。実際には、バーバーはマンダリが後ほど従うべき指示を書き留めており、書簡用にいくつかの要点を口述しているところであった。
