第35章: グルプラサド、1960年
1960年· ババ 66歳ページ 4,677 / 5,444
困窮し見捨てられた子どもたちのなかでのあなたの働きに、私は大いに満足しています。見捨てられた者たちに仕えることによって、あなたは実にイエス・キリストに仕えているのです。なぜなら、彼もまた、すべての者から、自らの使徒たちからさえも見捨てられたからです。見捨てられることの象徴が十字架です。ゆえに、見捨てられた者たちに仕えることはキリストに仕えることであり、私は紛れもなくその彼です。
私自身があなたの中にいるように、私はあなたの働きにおいてもあなたとともにいます。困難、共感の欠如、敵意ある反対があなたの働きの中に立ちはだかるでしょうが、私があなたを助けます。あなたには私の祝福と愛があります。
キリストの十字架はまた、犠牲の象徴でもあります。ゆえに私は申し上げます。あなたは自らの全存在を犠牲にし、困窮した子どもたちを助ける働きに余すところなく身を投じるべきです。自分のすべてを犠牲にすることによって、あなたは「すべて」を見出すでしょう。
その司祭はバーバーからこの自発的なメッセージを受け取って大変喜び、自身の季刊誌『ベーシック・エデュケーション(Basic Education)』に掲載してよいかと許可を求めた。バーバーは同意し、(書き留められていた)そのメッセージを彼に繰り返させた。彼はそのとおりに復唱したが、最初の段落の最後の文だけは抜かしてしまった。それに対してバーバーは「あなたは最も重要な部分を抜かしました」と述べ、そして繰り返した。「私は紛れもなく、その彼です。」
その一か月前(4月4日)の別の機会に、バーバーはマンダリにイエスについて次のように述べていた:
イエスは時に、弟子たちにまったく理解できないような事柄を語っていました。しかし、それにもかかわらず、彼らは全身全霊で彼に付き従い、最後の最後まで彼に従いました。なぜなら、ゴッド・マン(神-人)の働きは人間の理解をはるかに超えた事柄であるということだけは、彼らも理解していたからです。
私の場合も同じです。時に私は、あなた方がまったく理解しようがない事柄を口にします。これは諸々のサイクルのなかの最後のサイクルですから、それが実を結ぶよう、私は沈黙を守っているのです。私はただ一つの「ことば」だけを発します。そのようなサイクルは無数に過ぎ去り、私が降臨した回数もまた数知れずあります。私が沈黙を守るのは、これが初めてではありません。そのような沈黙の遵守と、それに続く沈黙の解除は、永遠のなかで時折起こる出来事です。
原子が分裂するとき、莫大なエネルギーが放出されます。同様に、私の沈黙が破られ、私が「ことば」を発するとき、無限の智慧が放たれることでしょう。原子爆弾が地球を打つとき、広大な破壊という形で大きな変動が起こります。同様に、その「ことば」が宇宙を打つとき、物質的な破壊という形で大きな変動が起こるでしょう。しかし、何にも増して、とてつもない霊的な高揚もまた起こることでしょう。
