第35章: グルプラサド、1960年
1960年· ババ 66歳ページ 4,653 / 5,444
ジナーン[知]の中にはアジナーン[無知あるいは知らないこと]があります。しかしアジナーンの中にジナーンは存在し得ません。最高の次元で全ての知を有しているからこそ、私はあなた方の次元で完全な無知を装うことができます。実のところ私は無限なる知であり、それゆえ数百年後に起こることでさえ知っていますが、あなた方の次元にいる間は無知を公言します。
粗大界においても、また日常的な状況においてさえ、知と無知は同時に現れ得ます。例えばあなた方はこう言います。「私は泳ぎ方を知らない。」これは、自分が泳ぎ方を知らないということを、あなた方が知っているということを意味します。もし知らないということを知らなかったなら、あなた方はこの理解を得ることはできなかったでしょう。これが「無知の知」です。
同じようにして、知そのものである私は、知に対する無知を現します。こうして全てを知っていながら、私は同時に知らないかのように見えるのです。それが全てを知る者の無知というものです。
R・チャクラパニは1960年4月7日木曜日、タレガオンからグルプラサドへやって来た。彼は以前にバーバーから特定の指示を受けていた。彼は長い髭と長い髪を持つサドゥのようで、沈黙を守っていた。
バーバーは彼に尋ねた。「誰かがあなたの足下にひれ伏すことを許しますか?」
チャクラパニは首を横に振った。
バーバーは身振りで示した。「それは大変結構です。」
集まった人々に向け、バーバーは長々と語り続けた。
道における唯一の障害はエゴです。エゴの本質については、これまでに数多くの書物が書かれてきました。しかし書物による知はほとんど助けにはならず、自身の努力だけではエゴは克服できないままに留まります。あなた方が断食しようと豪奢な食事をとろうと、攻撃的になろうと謙虚になろうと、エゴは自らを養い続けます。「私は見る、私は読む、私は眠る」というようなエゴの自然な傾向さえもが束縛を作り出します。ですから昼夜を問わず、古いサンスカーラを消費するまさにその行為の中で、あなた方は新たなサンスカーラを作り出し、束縛されることになるのです。
その上で[もし]長い髪を蓄え、サドゥの衣をまとうなら、あなた方はそうすることで間接的に尊敬を求めていることになります。一般の人々とは異なる仕方で人生を歩もうとする時、霊性において自らを誇示するという偽りの感覚が生じやすいのです。他者があなた方を尊敬の眼差しで見始め、あなた方はそうするべき霊的権威もないままに敬意を受け始めます——表向きは神の名において、しかし深いところには自己満足以外の何ものもありません。時が経つにつれて優越感は養われ、エゴはさらなる栄誉を渇望するようになります。これは危険な落とし穴です!
