第35章: グルプラサド、1960年
1959年· ババ 65歳ページ 4,582 / 5,444
フランシスはケンモアに、バーバーがどのように歩いていると思うか尋ねた。ケンモアは答えた。「バーバーは見事に歩かれます。これはあのお方にのみ可能なことです。あなたには私のようには理解できません。以前、私がバーバーの状態を触診[検査]していたなら、あの方が再び歩くことなど全く不可能だと断言していたでしょう!」
1958年にアメリカを去った後、バーバーはケンモアに次のように書き送っていた。「あなたは私のマンダリの一人です。私は自分のマンダリから全てを期待し、私のマンダリは私から何一つ期待しません。」
メヘラザードでのある時、ケンモアはこう言った。「バーバー、あなたは愛そのものを体現しておられます。」
バーバーは答えた。「私は非常に厳しくもあります。特に私のマンダリに対しては。私はマンダリに対する姿と、世間に対する姿とでは同じではありません。私は全世界に自分の愛を与えますが、私のマンダリは私の厳しい面にも向き合わねばなりません。」
ケンモアは毎朝プカールに、毎夕パドリに連れられて散歩に出かけた。ケンモアは新しい発明品 — ポラロイドカメラ(60秒以内に自動的に現像される写真を作り出すもの)を持参していた。彼とパドリは、バーバーやマンダリ、アシュラムの写真を数多く撮影した。ケンモアはテープレコーダーも持参しており、ハリーが常にそれを傍に置いていたため、バーバーはそれを「ハリーの赤ちゃん」と呼んでいた。バーバーはしばしばケンモアに、マンダリ・ホールで自分の前で「導師の祈り」を朗誦するよう求め、ケンモアはよく響く声でそれをこなした。ハリーはまた「ビギン・ザ・ビギン」「スワニー」など、バーバーが好む歌を歌うことを好んだ。時にバーバーはケンモアとマンダリを母屋へ連れて行き、ヒンディー語、ウルドゥー語、英語のレコードを聴かせた。
この時期の午後、バーバーはマンダリ、庭仕事の少年たち、料理人、運転手のシェイクと共に「セブン・タイル」(七枚瓦)で遊んだ。バーバーは椅子に座り、そこから瓦の山に向かってボールを投げた。ラーマとバイヤという二人の使用人の少年がよくこの遊びに加わり、ラーマは自分の番にめったに外さなかった。シャンカルというもう一人の庭仕事の少年もかなり上手で、これらの賑やかな遊びの間、少年たちはバーバーの間近で共に過ごすという幸運に恵まれた。
ケンモアは盲目であったが、彼もまた自分の番に球を投げた。ある時、彼が狙いを定めて球を投げると、バーバーの合図を受けたパドリが瓦の山を散らかし、ケンモアは自分の「命中!」に大いに喜んだ。その後、彼は練習を重ね、時には実際に山を当てることもあった。誰かがうまく当てるたびに、ケンモアは「あいつに葉巻を二本やってくれ!」と叫ぶのだった。
