第4章: 旅路
1923年· ババ 29歳ページ 453 / 5,444
バーバーとマンダリがそこに落ち着くやいなや、ヴァジフダルは義姉ジェルバイと、その妹ヒラを伴ってその家に移り住んだ。
仕事を持つ者たちは職場で昼食をとり、夕食は他のマンダリと共にとった。バーバーのもとに残った者たちの昼食は、いつも通りダールとご飯であった。夕食は野菜とパンだった。ヴァジフダルの義姉とその妹が料理を担当しており、男たちにとって大いに助かった。
1923年10月の第一週から、師は一日に一度食事と茶をとるようになった。ウパスニ・マハラジは最近、イェシュワント・ラオに「メルワンはこの程度の食事すら絶つだろう」という懸念を伝えていた(イェシュワントがそれをマンジル・エ・ミームで知らせた)。そして間もなく、バーバーは長くは八か月から九か月にわたって、マハラジが予告した通りにすることになった。
ウパスニ・マハラジの伝記グジャラート語版第1巻『サコリナ・サッドグル』のページを照合する作業が、イラニ・マンションで続けられた。昼間に家に残った者たちが、印刷されたページを正しい順序に並べる照合作業の大部分を担当したが、夕方仕事から戻った者も手伝わなければならなかった。ベイリーとソラブジ・デサイによって書かれたこの本は、パールシーとイラニのゾロアスター教徒共同体に向けられたものであった。
バーバーは10月半ばに計画していたサコリへの徒歩巡礼に出る前に、本を出版したいと切望していた。そのために、徒歩旅行中の荷物運搬用に牛車が購入された。牛車と一緒に買ったその牛が、1922年5月にプーナからボンベイへ向かう徒歩旅行を共にしたのと同じ動物だったというのは奇妙な偶然であった。
1923年10月半ばまでに、ウパスニ・マハラジの伝記マラーティー語版とウルドゥー語版はほぼすべて売り切れた。1さまざまな信奉者が学生たちに無償で配るために、計1000冊の本を購入した。配布の責任は政府の公教育部に委ねられ、マンダリは販売に煩わされる手間を省くことができた。マラーティー語版とウルドゥー語版の残りはイラニ・マンションの木製戸棚に保管され、ヴァジフダルがこれらの本とグジャラート語版第1巻の販売を自ら引き受けると申し出た。こうして、サークル・アンド・カンパニーの出版業務は幕を閉じた。バーバーには(完成間近の『サコリナ・サッドグル』第2巻のほかに)他の本を出版する計画がなく、そのため会社を正式に解散させた。
脚注
- 1.マラーティー語の伝記を読んで多くの人々がウパスニ・マハラジのダルシャンを受けるためにサコリへ赴いており、その中にはゴーダヴリ・マイの両親も含まれていた。
